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> 短編 > 洗濯の選択
洗濯の選択
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「ところで、何で一時的にせよ、僕が部屋を追い出されなければならないんだ?」
部屋の持ち主である皆本光一は、そう言って盛大に顔をしかめた。
目の前には、さも当然と言った風の三人の少女。
おのおのの手には、中の見えない不透明なビニール袋が握られている。
何が入っているかは分からないが、同居人である皆本へさえも見せたくないものなのだろう。
後ろ手に隠しながら、目前の一人、野上葵が何でこんなことも分からないのかと告げる。
「当然やないか。見られとーないからに決まっとるやろ」
言いながら自分の眼鏡を押さえているのは、呆れている証拠だ。
「だいたい、勝手に人のもんへ手ぇつけるなんて、人権侵害も甚だしーと違うん?」
「それは誤解だろ。だいたい、君たちはほとんど家事をしないじゃないか」
皆本の反論にも、葵は怯まない。
「だから勝手に他人の下着を洗濯してもかまへんってか!?」
葵が憤慨しているのは、先日、彼女が実家へ帰ろうとした際、使用済み下着を部屋へ置き忘れてしまったのだが、それを即座に皆本が洗濯してしまったためである。
皆本としては、部屋の主として、洗濯物があれば洗うのは当然のことだったし、それが居候と化している少女たちのものであったとしても同じことだった。
まだまだ子供の持ち物だから、別段気にせずおこなったのだが、本人はかなりショックを受けたらしい。
同じく同居している三宮紫穂、並びに明石薫は抜かりなく全て持ち帰ったのだが、こともあろうに普段常識人を自称する葵だけが忘れ物をしたこともあって、葵はかなり神経質になっている。
だから今回、三人だけで洗濯をするから外に出て行けと葵は言ったのだが、皆本としても、その主張に一部理解は示せるものの、基本部分に納得しがたいものがあった。
たとえ以前、なりゆきで敵側少女の服を全て洗い、女性に見境無しだとして制裁を受けていても、同居する人間から洗濯のたび部屋を追い出されてはたまったものではないと思うからだ。
普段、調理も掃除も、そして大部分の洗濯さえも彼がやっているのだから、今更なにを言うのだろうか。
今回圧力に負け、葵の主張通りに出て行ったとしよう。
すると今後、必要度合いが拡大解釈されてしまう恐れが拭えない。
将来的にどちらが部屋の主か分からなってしまう可能性を脳裏に浮かべた皆本は、断念させるため、あえてこう言った。
「洗濯の間って言われても、普通の服は全部僕に押しつけてるんじゃなかったっけか?」
小学校通学時のスカートやブラウスは、みな皆本が洗濯しており、誰もが、それを特段気にしたことはない。
が、しかし、彼女には胸部の成長がほとんど見られないため、その発言を『普段着姿だって女性らしくない。ましてや下着を見たって、どうってことない』と言われたよう感じ取り、葵は怒鳴った。
「何ぃ洗濯板だぁ!? 乙女の純情を傷つけるんは、最低な行為やでっ!」
「な、なんでそんな反論に!?」
こうなったら、もうどうにも止まらない。
少々うろたえ気味の皆本が何か言うたびに、彼女が逆上の度合いを高めていく感じがする。
いわゆる悪循環だ。
しばらくはもごもごと合間合間に反論を試みていた皆本だったが、葵の口が止まらないため、とうとう説得を諦め、しばらく一人で出歩くのも悪くないかと思い始めてしまった。
たまには外食だって悪くないかもと考え、同僚の賢木から教えられたいくつかの店のうち、安くてそれなりに美味いところを脳内でピックアップしてみる。
すると、それらの思考が嫌みに感じられたのか、葵はまたまた文句を言った。
「何か言いたげやな。隠し事すると、ためにならへんでぇ」
「……何でそーなるんだよ。君らが言ってるのは、洗濯でここを占拠してる間、出ていけって話だろ? だったらその間、外で僕が何したって構わないじゃないか」
それを聞いて、眼鏡の奥から更なる鋭い眼光を飛ばし始めた葵をなだめるかのように、右側へ立っていた紫穂が、まぁまぁと言いながら口を挟んだ。
「皆本さんも色々あるんだから、気にしてたら洗濯終わらないわよ。さっさと始めましょ。下手すると夜中まで掛かるんだから」
「へ? 紫穂、何でやねん」
葵がきょとんとするのも無理はない。
数日分の汚れ物のみで、しかも面積が少ないものばかりなのだから、せいぜい二時間もあれば洗濯し終えるだろう。
そう疑問を呈した葵へ、にこにこと笑いながら紫穂は答えた。
「だって、洗濯終わっても皆本さん入らせないようにしないと意味無いじゃないのよ」
「だから、何が問題なんやねん。皆本はんが居なければ、とっとと終わらせるだけやろ?」
どうやら、言い出しっぺの葵には、問題点が全く見えてないようだ。
勉強は一番のはずが、怒りが思考能力を鈍らせているのだろうか?
それで紫穂は、私は問題ないんだけどね、と言いながら問題点を指摘する。
「だって、見られてはまずいんでしょ? だったら、洗濯する間だけでなく、乾かして畳み終えるまでじゃないと同じことじゃない」
「あっ! せやな……うちとしたことが、こんなことも分からへんとは」
今更ながらに気付いたのか、葵は恥ずかしげに口を押さえた。
最近になり、妙に下着類を見られるのが恥ずかしいと言い始めた葵であったが、そこまでは考えが及んでいなかったらしい。
何せ、彼女たちはまだ十歳。
そろそろ色気づいてくる年頃とは言え、最近まで学校へも行っておらず異性との交流経験が完璧に不足している彼女らが、そんなところまで考慮するはずもなかろう。
葵へ忠告した紫穂が、それを気付いていて今まで言わなかった理由は、皆本には全く分からない。
以前、三人の入っている風呂へ引きずり込まれた同僚、柏木一尉の話によれば、裸でさえ『皆本さんなら見られても全く問題ないわ』と言っていたそうだが、はてさて、実際のところどうなのだろうか。
自分は構わないと言いながらも、葵に同調して皆本を追い出そうとしているのだから、何を考えているのか全く理解しがたい。
「と言うことで、皆本さんよろしくね」
さわやかな笑顔でそう言ってのけた紫穂は、同意確認するかのように顔をもう一人のチームメイト、明石薫へ向けた。
いつもは先頭に立って騒ぎ立てる薫なのだが、珍しくもこれまで何かを考えこんでいたようだ。
閉ざしていた口を開き、そうだよなー、と短く答えた彼女は、にまっと意地悪な笑みを浮かべながら追い打ちを掛ける。
「じゃあ、室内に干しても構わないよな。そうそう、皆本の部屋も使ってやろうか? 取り込み忘れとか期待してもいいぞ」
げへへと下品な笑い声をあげながらの提案は、かなり困ったものである。
提案内容もさることながら、薫の趣味は、とかく親父くさいのだ。
収集している下着も、年に似合わない、見た目重視で高価なものばかり。
また、自分が他メンバーのパンチラを見たいからとの、ただそれだけの理由で制服にミニスカートを採用させるやつなのだ。
皆本が困惑した顔となっているのを見て楽しんでいるみたいなのも頭が痛いが、たぶん薫の本音は、皆本が居ない間に他の二人の下着を堂々と見る機会を得たいのだろうとしか思えない。
三者三様に手間が掛かるメンバーだが、皆本に対してだけは一致団結することが多い――順位争いも多いが――ため、まとまったときの対応にはかなり苦慮させられる。
全員から追い出しに掛かられ、これで今日は外泊確定か、と溜め息を吐いた皆本は、にやついている三人を前にし、どうせ聞いちゃくれないだろうがと思いつつも注意点をあげてみた。
「分かったから、明日、僕が帰ってくるまでに全部終えててくれよ。それと、その間食事を作ってやれないから、それは自分らで考えること。材料は冷蔵庫にあるやつを使って良いからな。あと、学校へ遅刻しないように。それから……」
これが追い出される人間の態度だろうか?
出ていく寸前になってこまごまと言い始めた皆本を、三人は溜め息顔で見た。
彼も、冷ややかな視線に気付き、慌てて締めくくりに入る。
「と言うわけで、戸締まりには気を付けるよーにっ!!」
バタンとドアを閉めたあと、本当に外泊となってしまったなぁ、と苦い顔になった皆本は、そのまま階段まで行って、一度だけ振り返って我が家の入り口を見なおした。
「……あいつらの家じゃ無いんだけどなぁ」
つい、愚痴も出てしまったが、それも仕方ないだろう。
既に彼一人の部屋でなくなったことは、確定事項となってしまっているのだから。
京都に住む葵の親が、東京に住む娘についてやむを得ず男性上司と同居させるのは、まだ理解出来る。
だが、同じ東京都内に住む薫と紫穂の親もまた、娘が男性の部屋に同居することへ肯定的なのは理解に苦しむところだ。
特に薫の母、明石秋枝は「私は、あの子と本気で向き合えないから」などと言い、皆本宅へ預けきりになることを、むしろ喜んでいる節さえあったりする。
育児放棄か家庭崩壊か、はたまた別な何かか――
少なくとも、この現状は親たちにとって益になることなのだろう。
皆本にとっては、どうなるか分からないのだが。
「なんだかなぁ」
黄昏に包まれていく光景を見ながら皆本は、久々の一人の夜を、不思議にも持て余し気味と感じながらそう独りごち、夜の町へと出掛けていくのだった。
一方、残されたチルドレンたちは、皆本の複雑な気持ちを余所に、それでも精一杯悩んでいた。
見つめる先は、二つの箱。
注意書きで覆われた、しかし普通に扱ってよいはずの代物を前に、薫は分からない、と根をあげた。
「なぁ、葵。どっちが良いんだろう?」
「ウチに振らんといてーな。ま、普通に考えればこっちがええんとちゃう?」
葵が指した箱には、こう書いてある――『弱酸性』。
両方とも洗濯用洗剤なのだが、どうやら、どの洗剤を使うかで揉めているらしい。
几帳面な皆本らしく、生地によって洗剤を使い分けているのであるが、洗剤の使い分けなぞ想像だにしていなかった三人は、みな頭を抱えてしまったのだ。
彼女らが通う小学校でも、家庭科の受業はある。
しかし、五年生の途中から通い始めた彼女らは、その手の知識がいささか不足していた。
一応、紫穂のサイコメトラー能力で何を使えば良いかは分かった。
しかし、それでもなお、下着にこだわりを持つ薫にはそれで良いのか決定出来ないで居るのである。
葵は早くやらんとな、と紫穂の指示した箱を持ち、薫へ言った。
「さっさと始めんと、終わらへんで。これでええやん」
そう言われても、しかし薫は納得しなかった。
「だって、生地を痛めないように中性なんだろ? せっかく高価なやつなんだから、ちゃんと洗いたいじゃんかぁ」
薫が手に持っているのは、生地がかなり少なく、小学生が持つには不釣り合いなほど扇情的な物体である。
これが現在一番近しい異性、皆本攻略に必要な物ならいざ知らず、単に趣味で集めていると言うのだから、少々頭が痛い。
他の二人は年齢相応のしか持っておらず、また、それなりに家事知識もある――うち一人は情報を読み取るだけで実行しようとはしないが――ため、薫のこだわりを少々あきれ顔で見た。
「薫ちゃん。そうは言っても、どれかに決めないと、いつまで経っても洗濯できないわよ? ともかくやってみましょうよ」
既にして投げやり状態な薫と困り顔の葵へ助け船を出したのは、紫穂だった。
らちが空かないと思ったのだろう。
二人の同意を得ずに、ひょいと洗剤を洗濯機の中へ入れてしまう。
スプーン一杯の粉石けんが、さらさらと水に溶けていく。
グリンと音をさせ洗濯時間をセットした紫穂を見て、ふと嫌な予感がした葵は、彼女へ尋ねた。
「紫穂、あんた今、何入れたん?」
「何って言われても、洗剤だけど」
問われた意味が分からない紫穂がきょとんとしている間に、葵が彼女の手から洗剤箱を奪い取る。
薫と葵が論議していたのとは、明らかにメーカーが違う。
更には、大きな字でこう書いてあるではないか――『弱アルカリ性』。
「何でこれを入れるんやねん!」
「だって、美容のためには常識じゃない」
先ほど、自分で弱酸性と読み取ったではないか。
それなのに、弱アルカリ性洗剤を入れるとは、何を考えているのか。
言い争いにうんざりし、やけくそ気味で洗顔液に同じと結論づけてしまったのだろうか。
箱を落とすほど葵がパニックになりかけた瞬間、言い争いの相手が矛先をそらしてしまって面白くなく感じた薫は、手に持っていた箱をドンと床に置いて、こちらは完璧なやけくそ気味な声で言った。
「綺麗になりゃいいんだろ! こっちも入れちゃえばいーんだろう!?」
無謀にも葵の箱をがぱっと開け、紫穂の入れたものの倍する量をどさっと入れてしまう。
「え?」
「あっ!」
二人が止める暇は無かった。
先の洗剤が溶けたばかりでほんの少々青く色づいている箇所に、白い粉が山ほど降りかかる。
そして少し後、嫌な想像を実証するかのように異様な臭いが漂い始めてしまった。
「わ、くっさ!」
単純に鼻をつまんだ薫の横で、顔を青ざめて紫穂が叫ぶ。
「塩素ガス!?」
「き、緊急テレポート!!」
それを聞き、慌てて葵が能力を発揮して三人はビルの屋上に出た。
はぁ、と小さな胸をなで下ろした葵は、薫をキッと睨んだ。
「何で、あれを入れるねん! 酸性とアルカリ性を混ぜると有毒ガスになるのは習ったやろ!!」
たじろぎながら、事態の張本人は言い訳をおこなった。
「……えーと、洗剤の量が二倍なら、汚れ落ちるのも二倍じゃなかったんだっけ?」
あはは、と頭を掻きながら言うその姿は、どう見ても理解していなかったとしか思えない。
しばらくは部屋に戻れないわよね、と小声で呟いた紫穂が、ふと気付いて疑問を呈する。
「でも、粒状洗剤でガスが発生するとは習ってなかったわよ。液体洗剤での、しかもトイレ用洗剤での話じゃなかった? それと、塩素系洗剤と酸性洗剤だったような……」
「そ、そやったか? それはそーとして、ガス発生したのは確かやろ。なら、それでええねん……じゃなくて、よくないっつーねん!」
間違いを指摘されて動揺したのか、自分に突っ込みを入れた葵を見て紫穂は苦笑した。
自分で洗濯するとか言いながら、葵は洗剤の種類さえ事前勉強してなかったようなのだから、呆れるほか無いではないか。
紫穂も、人の間違いを指摘できるほどの知識が無いことは先の一件で明らかなのだが、一番勉強の出来る葵がこの有様となってしまったことで、誰も突っ込みを入れられないのが残念である。
ところで、今回はいったい何が起こったのだろう?
普通、酸性とアルカリ性が混ざれば中和されるはずなのだが、しかし、先ほど二人が別々な洗剤を溶かした結果では、別な何らかの化学反応が起こったらしいとしか言いようが無い。
漂白剤なら塩素系もあるが、先にそちらを入れてなかっただろうか?
そんな疑問は当然あるし、感じた異臭も、単に気のせいだったのかもしれない。
しかし、実際のところを確かめる気は、誰も持ち合わせて居なかった。
数秒後、なんとか突っ込みから立ち直った葵は薫を見たが、まだ笑ってごまかそうとしている。
なので小言は無駄だと悟った葵は、溜め息を吐きながら呟いた。
「換気せーへんとなぁ」
無造作に部屋へ戻るのは、かなり危険だ。
彼女が優秀なテレポーターであっても、中から鍵を開けて換気するには時間も装備も足りない。
とはいえ、バベル本部に泣きついて処置して貰うわけにもいかない。
皆本の小言が多くなるだけの結果しか見えないのだ。
――このまま放置しておくことは?
それも当然出来ないことだ。
彼の帰宅までに何とかしておかなければ、何も知らずに入ってしまうかもしれず、そして……最悪の事態となってしまう。
この対策は、本人にしてもらうのが筋だろう。
ちらり、と横目で見た葵に同意してか、紫穂も同じように視線を向ける。
「そうね、窓を壊すしかないわよね」
決定済みと言わんばかりの二人の視線を受けた薫は、引きつった顔となった。
「それで、窓を壊したあたしだけ罰を受けるってこと? チームなんだからさ、こういうのは三人一緒ってことでじゃ……駄目? だいたい洗剤入れたのは、あたしだけじゃねーじゃんかぁ……」
最後、泣き言に近くなったその提案は、しかし、受け入れられなかった。
最初に洗剤を入れたのはあんたじゃんとの不服そうな視線を無視し、何でこんなこと分からないのと、とぼけた顔で紫穂が告げる。
「皆本さん帰ってこれなくなっちゃうわよ? それに、あたしたちも入れないから、別に寝るところ確保しないと美容に差し支えるわよねー。皆本さんと二人で外泊しちゃおうかしら」
それは横暴だー、との小さな悲鳴に被せるように、葵も澄ました顔で予想を言った。
「確か、洗濯の順番は、あんたの勝負下着が最初やったはずよな。早くせんと、ボロボロになってしまうと違うのん?」
「それもいやー!」
滂沱の涙を流す薫を尻目に葵は、他に出来ることないか、と一応は紫穂に話しかけた。
「なぁ、能力で換気扇だけ動かせへんの? あんたなら、配線を読み取れるんとちゃうか?」
「無理ね。時間掛ければ可能かもしれないけれど……読み取れたとしても、今の薫ちゃんに精密作業が出来ると思う?」
「……無理やろうなぁ」
たとえ日本一のサイコキノであろうとも、まだ十歳の薫にとって、集中力の必要な細かい作業は苦手な分野である。
なおかつ、心入り乱れての作業となれば、難しさは格段に増大してしまう。
「あたしたちじゃ、あそこの窓を壊すだけの力も無いしね。と言うわけで、薫ちゃん、よろしくー」
「納得いかねー!」
そんな薫の叫び声がビルの屋上から空に吸い込まれていったが、最後には、この状況を打開するために、とほほ、と涙を浮かべながらも、薫はガラスを壊して換気することに同意した――せざるを得なかった。
部屋に入れなければ、自分が眠ることさえ出来ないし、コレクション回収だって出来ないのだ。
まあ、結果はさんさんたるものであったろうことは、想像に難くない。
薫がそれ以後、洗濯に手を出そうとはしなくなったのが、その証左である。
部屋の修理について皆本から小言を言われたのはともかく、高価な下着を駄目にしたのが、かなり堪えたらしい。
しかも情けないことに、彼女は、何とその後も洗濯ノウハウを覚えようとはしなかった。
「だって、あたしが手ぇ出したら痛めちゃうんだもーん」
そう、彼女はこともあろうに洗濯についての一切合切を皆本へ任せきりとし、彼の洗濯風景を後ろからニヤニヤ笑いながら見ることにしたのだ。
自分は楽をし、彼の仕事を楽しそうに眺められる――これぞ一石二鳥!
そんな、哀愁漂う彼の背中を寝そべりながら見ている薫と比較して、最初の切っ掛けになった葵はまともな成長をしているかと思いきや……
「こら葵! ちゃっかり自分のも混ぜるんじゃない!!」
何と皆本の嘆きを余所に、薫が洗濯をお願いすると、それに自分の分をも上乗せするようになってしまっていた。
パンツ見られてお嫁行けへん、とか言っていたのは、どの口だったろうか?
「まったく、あの恥じらいは何だったのか……」
そう皆本が嘆くのも無理ならぬことだ。
異性へ下着洗濯を願うことは、彼女が理解している常識と反する行為ではないのだろうか?
皆本の注意を受け、荷物の一部を入れ損ねた葵は、仕方なく汚れ物を掴んだまま手を引っ込めて言葉を舌に乗せた。
「だって、仕方ないやねん。皆本はんのほうが上手いんやから……」
顔を赤くしながら、そう口ごもる葵の顔は、しかしどこか嬉しそうだ。
何だかんだと文句を言っても、最後には、皆本がきちんと願い事を聞いてくれると分かっているからだろう。
それでも、堂々とではなく、そっと隠しながらというところが、まだ可愛いところだ。
二人の言い争いを遮るように、薫が後ろから声を掛ける。
「葵もさあ、サイズ負けてるからとか考えないで、素直に皆本のチェック受ければいーのに」
心底楽しそうに、がははと笑う薫の顔は、とても乙女の顔とは思えない。
恥じらい無く洗濯物を預ける姿を見たら、彼女を淑女と言うのは、おこがましいとさえ感じてしまう。
「薫も毎回洗濯を見てるんじゃないっ! そんなに気になるなら、自分で洗えば良いだろうが」
そんな皆本の嘆きを、さらりと薫は受け流した。
「下着はちゃんと洗いたいから皆本へ預けるんだってば。それに、またガス発生させてガラス割るはめになり、あたしのこと怒りたいの? そうじゃないよね。それに、皆本だってホントは女の子の使用済み下着を手に取れて嬉しいくせにー」
「そんなことあるかっ!」
思わず怒鳴った皆本の横で、せやったな、と葵は呆然と立ちつくした。
洗濯物とは、つまり自分が身につけたやつで、それを皆本が洗うと言うことは……
「皆本はんのフケツッ!」
急に恥ずかしくなり、思わず葵はそう言って皆本を殴り始めてしまった。
恥ずかしいのなら最初から頼まなければ良いはずなのだが、恥ずかしいと言いながらも撤回しないのは、薫に対抗してなのか、はたまた他に理由があるのか、皆本にはまったく分からない。
取りあえず手を止めて欲しいものだと皆本は思い、葵へ少々大きな声で注意する。
「あいたたっ。そんなものは、振り回すものじゃないだろう?」
それを聞いて、葵は再度ハッとした。
先ほど、皆本と薫が話している間に自分の分を入れ終えようとしたのだが、それがアダとなり、下着持ったまま殴っていた事実を言われるまで気がついてなかったのだ。
「乙女の純情返せっ!!」
しかし葵は、そう大声を出しながらも手から問題の物体を離そうとはせず、はしたなくもそのまま皆本を殴り続けてしまった。
ここで一旦離すと、放り投げてしまい皆本に見られてしまう可能性が高くなってしまうと思ったからなのだが、そもそも、葵が洗濯を頼もうとしなければこの事態は起こらなかったのだから、皆本を批難するのは筋違いだろう。
葵の心境を分かっているのかいないのか、薫が二人の姿を見てニヤニヤする。
「葵もエッチよのう」
そんな時代がかった口調で揶揄されても、今の葵には反論出来なかった。
自分から何か言えばやぶ蛇になりそうなので、皆本を殴って有無を言わせないようしなければならないが、かと言ってこのまま殴り続ければ、ますます小言や揶揄を言われてしまう。
洗濯を願っても願わなくとも、結局は以前と変わらず悪循環にしかならないのか?
端から見れば「仲が良いね」と言われそうだが、殴られる方は堪ったものでは無い。
こんなことは日常茶飯事であり、そのうち疲れて止めるだろうと思っていた皆本も、さすがに加速していく葵の腕から頭を庇いきれなくなり、そろそろ洒落にならなくなりかけたそのとき、葵の腕をぐいと掴んだ者が居た。
チルドレン最後の一人、紫穂だ。
その行動は正しいことだったが、何やってるの、と葵をたしなめた後、しかし、さも当然のように自分の荷物を皆本に預けるのは何故なのだろう。
「……えーと、君もなの?」
ほっとしたのも束の間、新たな洗濯物の出現に皆本は困惑した。
何で僕が、とも言いかけたが、それを遮って紫穂が楽しそうな口調で質問に答える。
「チームなんだから当然でしょ。それとも、私だけ除け者にするつもり? 優しい皆本さんは、そんなことしないわよね」
断言的口調で述べられ、はぁ、と溜め息を吐く皆本へ続けられる彼女のお言葉。
「皆本さんは、優しく、丁寧にしてくれるから、私もお願いしたって平気でしょ。上手い人って素敵よね〜♪」
ねー、と同意を求めた紫穂は、予想通りの反応を得た。
「よっ。この主夫日本一!」
この薫の反応は、これまでの洗濯仕上がりが好ましい結果だったことから、今後ともよろしくとの当然の言葉だろう。
「こんなことお願い出来るんは、皆本はんだけなんやからなっ!」
葵でさえ、あれだけ恥ずかしいと言いつつも、今後も皆本へ洗濯を押しつけることは確定のようだ。
皆本が呆れているうちに、さっさと洗濯機へ下着を放り込み、ポンと皆本の背中を叩いて後押しさえしているではないか。
葵も、薫の積極性に影響されたのか?
紫穂の大胆さに対抗せねばと思ったのか?
あるいは、葵たちには満足に出来なかった家事を、てきぱきとおこなう皆本の姿に何か感じたのかもしれないが、それでも下着類まで洗濯させるのは、葵の言う純情な乙女姿とはほど遠い。
見られることに快感を得ると言うのなら話は分かるが――まさかそれでは無いだろう。
ただ一つ言えることは、今後、彼女たちがどれだけ育っても洗濯は全て皆本がおこなうことになるだろうと簡単に予測できることだけだ。
皆本がぐるりと見回すと、薫も紫穂も、そして葵も、みな皆本が自分のをどれほど丁寧に扱ってくれるのか興味津々で見ようとしているため、彼は思わず内心で溜め息を吐いた。
下着も乙女心も、心を込めて丁寧に扱うよう、一般的には言われている。
だが本当は、優しさのみならず、汚れを落とす強引な力も必要のはずである。
――優しく扱い過ぎたのか?
――力の掛け具合を間違えたのか?
薫どころか、洗濯拒否の言いはじめである葵も、更には公務員の親から厳しい躾を受けたはずの紫穂までもが皆本へ洗濯を願うようになり、皆本は、今までのことを考えても何も好転させられないのだが、しかし、どこで選択を間違えたのかと溜め息を深くするのであった。
―終―
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