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短編
> 短編 > 若き宿木クンの悩み
若き宿木クンの悩み
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
日本国政府内バベル所属のエスパーチーム『ザ・ハウンド』の二人、犬神初音と宿木明。
この二人は、特殊な超能力を代々受け継いできた家系でもある。
簡単な言葉で言うと、犬神は俗に言う変身能力を持ち、宿木は動物に乗り移る能力を持っているのだ。
小さい頃から行動を共にし、その能力を鍛えてきた彼らは、しかしまだ十四歳。
一応、彼らを指揮する者は決まったものの、二人はまだまだ若くて判断能力が低く、しかもバベル入局が最近と言うこともあり、実働より訓練主体となるのは仕方ないところだろう。
その能力から調査追跡が主任務となるため、体力養成に努める彼らだったが、ここ数日、宿木は身体の不調を感じていた。
普通の医師では特に問題無いと言われるのだが、どうにも首が痛むのである。
手足が筋肉痛なら、話は分かる。
能力の使いすぎで頭が痛むのだと言われても、納得はいく。
だが、負荷をほとんど掛けていないはずの首が痛むとは、何としたことだろう。
レントゲンでもCTスキャンでも異常が認められないため、その数日後、彼は、とあるドアを叩いた。
超度六と高サイコメトラーである賢木医師の診察を受けることにしたのである。
同じバベルの職員で、また、自分より高超度の人間なため、普通なら真っ先にそちらの診察を受けるべきだったのだろう。
しかし、賢木にはセクハラや女たらしなど悪い噂しか聞こえてこないことから、そのイメージが先行し、宿木は少々受診をためらってしまっていたのだ。
とはいえ、首を痛めたままでは仕事ばかりか生活にまで支障をきたす。
なので不安を抱えつつも、宿木は賢木の診察室ドアを叩いたのだった。
「それで、どうなんでしょうか?」
噂は、やっぱり当てにならないものだ、と宿木は思った。
普通の医師同様、真剣な顔つきで自分を診る賢木を、彼は少々見直していた。
暇だったのか、パソコンへ向かい、ぼーっとしていた彼へおずおずと診察を依頼したのだが、想像や最初のだらしない印象とは異なり、彼はてきぱきと診察を開始したのだ。
やはり前提がどうであれ、医師に違いは無いんだな、とも宿木は思う。
そのため、自然、尋ねる言葉も幾分か丁寧な言葉となっていた。
しかし、やはり噂の一部は事実であった。
賢木は、その問いに、あっけないほど簡単な言葉のみを返したのだ。
「まあ、気にするな。痛み止めも湿布薬も必要ないから、このまま帰っていいよ」
「え? その、痛みの原因は何も無いんですか。薬も無し?」
以前、皆本と言う人間から聞いていた。
賢木は、人間として立派かどうかはともかく、きちんと医師の心を持ったやつである、と。
それと同時に、あのおちゃらけた態度が誤解を招くんだけどね、とも聞いていた。
だから宿木へも冗談を言ったのかと思ったのだが、顔を見ると、どうやらそれが診察結果らしい。
もう少し詳しく言ってくれませんか、との宿木の言葉に、賢木は、頭を掻きながら答えた。
「現実のダメージは、全く無いよ。筋肉や神経系など、肉体の損傷は皆無なんだ。たぶんだけど、バベルに入って相棒の初音クンをどうにかしたいとの緊張が途切れたため、今までに受けたダメージが幻痛としてあらわれただけだろう。若いんだから、鍛えれば肩こり程度にしか思わなくなるさ」
聞き慣れない言葉に、思わず宿木は聞き返していた。
「幻痛――ファントム・ペインですか? ってーと、失われた肉体が痛む感じがするってやつ?」
その質問に、へぇ、と感心しながら賢木は説明する。
「お、よく知ってるねぇ。それが本来の意味だよ。で、君の場合、首が失われたんじゃないけれど、あまりにも初音クンが首の骨を折り続け、その記憶が強いもんだから、平時でも痛みがあらわれたらしいんだ。もちろん正確な意味じゃないけど、その言い方のほうが分かりやすいと思ったんだが、どうかな」
おちゃらけていても、さすが医者である。
さらりと診察しただけで、そんな風にすらすら説明が出てくるため、宿木は思わず、おぉと感嘆の声を漏らしていた。
片や中学生、片や社会人なのだから、二人の知識量が違うのは当然であるが、噂や先ほどの態度を思えば、とても尊敬の目を向け続けられるものでは無かったのだ。
しかし、自分が受診した今では、確かに目前の男を凄いと思う。
「で、一番痛むときってのは、訓練時、彼女が疲労と空腹で暴走気味になりそうなときだろ?」
そのため、そう賢木から核心をつかれても、さほど気にならず、彼はこくんと頷いた。
「……そうです。覚悟はしてても、また食われるかと思うと、痛みが来て……」
訓練時には、すぐそばに食料を常備している。
それは、犬神が空腹で暴走すると、獲物を得るまで非常に危険な状態となってしまうからだ。
これまでは、宿木が獲物に乗り移り、そのままとなることを防いでいた。
だが、そのたびに彼女のあごで首の骨を折られる感触を味わっていたため、それが心に染みついてしまったのだろう。
バベル入局以前と違い、宿木のみが初音の状態へ気を使うことはしなくてすむようになったものの、未だ暴走の危険性は残っている。
賢木は、その告白を、うんうんと頷きながら聞き、助言を与えた。
「まあ、痛みは、残念ながら自分で克服するしかねーなぁ。記憶をブロックすることも可能だけど、それでは初音クンとの関係に問題が生じてしまうしなぁ。回避方法としては、常に食料を持ち歩くこと。そして、仮に最悪の場面となった際には、獲物に乗り移るのはやむを得ないとしても、食われる直前に意識を戻せば何とか大丈夫じゃないかな」
要するに、暴走は回避できないから自分で対処するしかないとの内容である。
「タイミングが難しいけど、訓練すれば、いくらかマシだろうさ」
無責任にも、賢木はそう締めくくった。
医師としてすべきことが無い以上、それくらいしか言えなかったのだが、宿木にとってすれば、それはないだろうとしか言えない内容だ。
はぁ、と溜め息を吐いた宿木を見て、賢木は、気を紛らわせようとしたのか、不意にニヤリと笑ってこうも言った。
「実際のとこ、どうなんだ? 少女の口に咥え込まれる感触ってのは」
「え?」
「だから、今まで何回も獲物として食われてるんだろ。彼女のお口の感触くらい、記憶に残っているだろうに」
ぷにぷにと頬を突きながら言うその姿に、先ほどまでの立派な医者の姿は全く残ってない。
立派なエロ親父としか見えない賢木の態度に、宿木は憤慨した。
「変なこと言わないでくださいよ。あいつに食われるってのが、どれほど痛いものか、サイコメトリーで診察してくれて分かっているんじゃないんですか!?」
「それはそれとして、やっぱり年端もいかない少女のお口は違うんだろうなぁと思うんだが? まんざらじゃないんだろう。でなければ、とっくにコンビ解消してるはずだもんなぁ」
「さ、賢木さんて、ロリコンなんですか?」
思わずそう言ってしまった宿木をことさら非難することはせず、賢木は堂々と自説を述べる。
「勘違いしてるようだから、訂正させてもらう。俺は、ロリ好きな変態皆本とは違う!! 純粋に女性全般へ興味があるから聞いているだけだっ!!」
「うわー、最低」
そう漏らした宿木の言葉は、いったい賢木と皆本、どちらに向けられたものか。
眼前で興奮している賢木と、その彼をもってして変態と称されてしまった皆本。
果たして、どちらがより変態なのか。
類は友を呼ぶ、とのことわざ通り、あるいは、両方とも変態なのかもしれないと宿木は考えてしまった。
宿木たちがバベルへ入局する際、皆本には大いに世話になった。
的確な指示でもって、模擬戦闘ではあるものの、日本随一の能力を持つエスパーチーム『ザ・チルドレン』をあと一歩まで追い詰めさせてくれた人なのだ。
また、何かと扱いづらい『ザ・チルドレン』を纏め上げているだけでも、尊敬に値する。
皆本へは、決して悪い印象を持っていなかったはずなのだが、それが覆されていく感じがしてしまう。
宿木の溜め息を無視し、どうなんだと迫る賢木の後ろに、いつの間に来たのか、誰かがすっくと現れた。
その人物へ声を掛ける暇もなく、繰り出された手刀が賢木の頭を直撃する。
「誰がロリ好きだっ!? お前なぁ、ホラ吹くのもたいがいにしてくれよ」
言葉と同時の手刀突っ込みに、内心ギクッとなりながらも、のうのうと賢木は弁解した。
「宿木が、のろけ話をするから、つい、な。まあ、でも、ほら、事実は事実だし」
「どこが事実だっ!」
後頭部を押さえながら、しかし、そう言ってのける友達へ、皆本は叫ぶ。
隣には宿木が居るのだから、変な噂を立てられたら、それこそ問題である。
むっとした皆本と、内心呆れている宿木を前にして、逃げられないと思ったのか、賢木は威厳をただして言った。
「一つ、敵にもかかわらず、年端もいかない少女を見て顔を赤らめた」
「お前もだったろーが」
少し前、敵対する組織に所属していた少女と対戦した時のことだが、人質としてさらわれた皆本は、身なりに興味がない彼女を見て色々世話を焼いてしまっていた。
敵組織の一員だとはいえ、部下のチルドレンたちと同年代である彼女の行く末を案じてしまったからだ。
ちょっと手伝ってやっただけで、ずいぶんと彼女は可愛らしくなったのだが、そう思ったのは皆本だけではない。
賢木もその場におり、皆本と同様の反応を示していた。
ちなみに、もう一人いた男性エスパーも同様の反応だった。
だから、それは皆本固有の問題ではないのである。
そう即座に言い返した皆本へ、賢木は次の言葉を発した。
「二つ、担当エスパーがみな少女だ」
「それは僕の意志じゃ、どーにもならないだろうが。文句あるなら局長やチルドレンに直訴しろよ」
皆本が指揮する『ザ・チルドレン』の三人は、みな小学生の女子であり、また、担当となったのは、確かに彼自身の意志だ。
が、それ以降、いくら彼が止めようとしても、もはやそれは叶わないだろうと皆本は思っていた。
理由はいくつもあるが、ここでは言えない内容なため、取りあえず上司と担当エスパーのせいにした皆本へ、賢木は堂々と言葉を続ける。
「三つ、そのエスパーたちと、いつもいつもイチャイチャしてるじゃねーか。どこに反論の余地がある?」
その勝ち誇ったような言葉を聞き、皆本は思わず反論を忘れて突っ伏してしまった。
最後の言葉にも、反論は可能である。
何と言っても、皆本をおもちゃとしているのは彼女らのほうなのだ。
決して皆本からではない!
そして、一つ一つの内容を聞けば、確かに全て反論することは可能である。
しかし、それらを纏められると、自分は本当はロリ好きだと思い知らされているように感じ、どう反論して良いか分からなくなってしまったのだ。
「だからさぁ、ロリ好きな皆本くんも聞きたいだろ? 宿木くんの体験した、中学生初音ちゃんのお口の感触ってどーだろなって思わないか?」
「お前はアホかぁ!!」
そう皆本がわめいてみるも、賢木は一向に微笑したままである。
このむっつりスケベ、と揶揄する彼は、心からこの状況を楽しんでいるようだ。
まったく、医師にあるまじき心得と言えよう。
そんなこんなで賢木と皆本が向き合っているため、宿木は、これ幸いと前を向きながらそそくさと逃げだそうとした。
自分に目がいっていないことを確認しつつ、音を発せずドアのところまで辿り着いた彼だったが、それを開けようとした瞬間、ドアがいきなりバンと開けられ、無惨にも前にひっくり返ってしまう。
それらの音で宿木がドアに向かっていたことを知った二人は、視線を向けた瞬間、固まった。
そこに居たのが、宿木だけでは無かったからである。
皆本の担当するチーム『ザ・チルドレン』の面々――三人の悪魔とも言われるのだが――が、そこに居るではないか。
今まで口にしていた内容を知られたなら、どのようなことをされるか分かったものではない。
背中を汗びっしょりとさせながら、皆本は引きつってはいたが、無理やり笑顔で場をつくろった。
そんな状況を知って知らずか、無邪気に皆本へ言い寄ってくるチルドレンたち。
「皆本ー。遊んでないでさっさと帰ろうよー」
「成長ざかりの乙女に食事を待たせるんは、よろしくないで」
「今夜も期待してるからね」
入って来るなり、周囲を無視した皆本への口撃を発している。
いや、三人とも多少は気を遣っているのかもしれない。
何故なら、浮かべている笑みが不自然なほどキラキラしているのだから。
そして、皆本へ他の女の話を聞かせるなと言わんばかりに、賢木を見る視線が冷たいからである。
「ほら、やっぱりロリ好……」
「ちがうー! 僕は違うんだぁー!!」
叫びもむなしく、ずるずると引っ張られていく皆本を見送った賢木は安堵の溜め息を、そして宿木はパートナーを含めて女は怖いよなーと気の抜けた溜め息を吐き、お互いのそれに気付いて苦笑した。
しばし後、賢木は、大人の余裕でいち早く立ち直ったため、宿木の頭に手を置いて他言無用とばかりに優しくこう告げる。
「まあ、なんだ。あんな風になりたくなきゃ、のろけるくらいになってくれよ。診断書には『寝違えで湿布出した』と書いておくから、頑張ってくれよな」
釈然としないものの、そう言われ数日分の湿布薬と一緒に医務室を放り出された宿木がその後、首の痛みを克服出来たのかは誰も知らない。
ただ、翌日、げっそりした皆本と、つやつや顔のチルドレン、そして、顔や首に青あざの出来た賢木及び宿木の姿が見えたとか見えないとか――更には妙に満腹気な犬神も見えたとか――妙な噂のみが伝えられている。
色々と、合掌。
―終―
> 短編 > 通学の問題
通学の問題
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「紫穂が問題、なんですか? 薫じゃなくて?」
目前に座る女性からそう言われ、テーブルを挟んで座っている皆本光一は、不作法にもお茶を左手に持ったまま思わずそう聞き返していた。
ここは、皆本と同居している子供たち、バベル所属の特務エスパーチーム『ザ・チルドレン』が通う小学校の校長室である。
少々問題がありますのでいらしてください、と彼女たちの担任から呼び出しを受けたため、上官の皆本は学校へ赴いていた。
こういった内容なら、本来呼ぶべきはそれぞれの親御さんたちなのだろう。
しかし、事実として四人で生活しており、また、各々の家庭から信頼を持って皆本宅へ預けられているとして、連絡先は彼になっていたらしい。
一人の自宅は京都であるため、急を要する東京の連絡先が彼になるのは分かる。
が、残り二人の親は東京都内に住んでいるのだから、それぞれの連絡先を登録しておくべきではないかと思うものの、子供たちが特務エスパーである都合上、皆本が一括連絡先となっているのはやむを得ないのだろう。
もしかすると、やっかい払いの感もあるのかもしれない。
親たちにその自覚がないとしても、今まで彼に表立って連絡してきたことがないのだから、そんな感想を抱いてしまう。
子供たちも、以前からバベルに預けられていることもあり、それについて不満を述べたことはほとんど無い。
むしろ、皆本宅から学校へ行くようになり、逆に楽しんでいる風さえあったりするのは、保護者として頭の痛いところである。
年相応な行動と考えれば、それほどおかしな行動ではないのだが、ESPを使って悪戯するのは、いただけない。
もう慣れたと言いたいところだが、それでも怪我が絶えないのは、つらいのだ。
出来れば痛くないほうが良い。
期待と現実のすり合わせに腐心する皆本の心は、まだまだ彼女たちを信頼しきれていないようである。
それでも、彼は彼女たちだけに全力を傾けられるのだから、先生方よりはマシなのだろう。
ここは、エスパーだけを集めた特殊学級ではない。
エスパーを特別視せずに受け入れてくれている、ありがたい学校なのだ。
当然、チルドレンのほかにも居るエスパーや普通の子供との軋轢がおきないよう、かなり気を遣っていると見て間違いない。
先生たち自身も、エスパーに理解があるだけでなく、それぞれに勉強を積み重ねていると聞いている。
なのに、そんな場所でさえもチルドレンに問題があると言われたため、ここに来るまで彼は内心頭を抱えてしまっていた。
彼女たちはまだ十歳。
本来なら、危険な任務など無く、おおらかに過ごせるはずの年頃なのだ。
能力のせいで多感な時期を同学年の人たちと居られなかった彼女たちなので、ついにすべきでないことをやってしまったかと皆本は溜息を吐きながら来たのだが、聞かされたその内容は、彼の予想とはだいぶ食い違っていた。
サイコメトラーの三宮紫穂やテレポーターの野上葵は、彼の中では問題視されていなかった。
この二人は、積極的にいじめを受けなければ、やり返すことはほとんど無いと記憶しているためだ。
葵の能力では、他人へ危害を加えるにしても、せいぜい頭上に黒板消しをテレポートさせるくらいかなと思う。
お金に関してはともかく、その他の事柄においては三人の中で一番の常識人であることから、割と安心感を持っていられる。
紫穂も、無意識のうちに――皆本に対しては絶対に故意だろうが――心を読んでしまう癖が少々あると感じられるものの、読んだ内容をワザワザ口にしなければ、あまり問題にはならない。
父親が公務員であり、かなり厳格な人だけあって、場所をわきまえるよう、きっちり躾がなされているようである。
また、能力のせいで人が嫌悪する内容を誰よりも知っている彼女であるから、たとえガキから色々言われたとしても、相手に感情を爆発させることは無いはずだ。
入学初日、陰からこっそり様子を見ていた限りにおいても、この二人がこれからも問題になるとは思えない。
となると、残るはサイコキノの明石薫である。
何せ、彼女が一番ナマの感情を吐き出しやすい。
彼女個人の性格かと最初は思っていたが、彼女の家族と少々話したり、色々知るにつれ、どうやら母親からの遺伝的要素も含まれているようなのだ。
知り合った当初と比べ、いくらかマシにはなっているものの、それでも危険性は変わらない。
男子と拳で語り合おうとしてしまうくらいなのだから。
へたな男子よりよっぽど『漢らしい』と言えてしまうのが、これからの教育においての問題点その一である。
彼への乱暴回数も一番多いのだから、チルドレンに問題があると言われ、薫が真っ先に思い出されてしまうのは、彼にとって当然のことだった。
なのに担任が問題だと言ったのは、薫ではなく、紫穂なのだ。
紫穂にどんな問題が、と考えた皆本は、彼女の能力が切っ掛けで、教室中が疑心暗鬼の状態になってしまったのかと思い悩んでしまった。
彼女へ積極的に触ろうとする人は、ほとんど居ない。
表面上取り繕っていても、自分の内心を知られると言うことは、心で話を出来ない人間にとって恐怖でしかないからだ。
それによる被害は彼もこうむっているため、紫穂が問題となると、それしか考えられない。
なので皆本は、転校もやむなしかと覚悟し、せっかく三人一緒に受け入れてくれたのにと忸怩たる思いで尋ねた。
「能力のせい、ですね? すると、もう、かなり酷い状況になってしまっているんでしょうか。転校も覚悟してますので、ハッキリおっしゃってください」
歯ぎしりを伴った皆本の問い。
彼はかなり真剣に言ったはずなのだが、それを聞いた担任は、えっ、と妙な顔をした。
何か、言い方に問題があったのだろうか。
理解してない様子の担任に、皆本はもう一度言った。
「ですから、紫穂の問題は、彼女のESP能力なんですよね? 他の子供たちに悪影響が及んでいるんではないでしょうか」
しかし、それを聞いても担任の顔は真剣な顔つきとならなかった。
更には、あろうことか次第に顔がゆるんでいき、最後にはクスクスと笑い出してしまう。
真面目に言ったはずなのに、笑われるとは何事か。
むっとした皆本の顔を見て、これは失礼と謝った担任は、それでも少し笑いをこらえきれない様子でこう告げた。
「紫穂ちゃんが問題なのは、能力じゃなくて、給食なんですよ」
「えっ?」
能力以外が問題になるとは、皆本は全く想像していなかった。
あっけに取られた彼へ、担任はこれも教育の一環ですし、と言って続けた。
「彼女、野菜を残すんですよ。肉類は大丈夫なんですけれど、サラダとか炒め物とかで、野菜とハッキリ分かるものは出来るだけ手をつけたくないみたいなんです。皆本さんからも、彼女へ野菜を食べるよう言ってくださればありがたいんですが」
私から何回も注意しているんですけどねと、ほとほと困り切った様子の担任を見て、皆本は自分の不明を恥じた。
紫穂が野菜をほとんど食べないことは、前々から知っていた。
なのにそれを学校へ伝えておらず、あまつさえ問題行動と言われ能力での騒ぎを疑うとは、なんと愚かだったのだろう。
僕が一番信頼しなければならないのに、と彼は真っ赤な顔で頭を下げた。
「すいません。僕は、それを考えてませんでした」
そして、何で頭を下げたのか分かって居なさそうな担任に、こう言う。
「僕は、彼女たちの保護者たりえないのかもしれません。内容を言われるまで、僕は他の子供たちか、あるいは先生方とトラブルを起こしたと思っていたんです。でも、ありがたいことに、そうじゃなかった――彼女たちは、こんなことを考えていた僕を許してくれないかもしれませんね」
皆本の、そんな自嘲気味な言葉を聞いて、担任は笑った。
「そんな、許すも許さないも、とっくに決まっているじゃないですか。彼女たちは十歳とは言え、学校で集団生活を送るのはまだ一年目なんですよ。問題起こるのは、あたりまえじゃないですか。それでも、みな、ここに来てから楽しくやっています。彼女たちも、それから他のクラスメートもね。ですから、彼女たちを支える貴方がどれほど心強い存在なのか、一目瞭然じゃないですか」
先ほどまでの可笑しいと言った風の笑いではなく、元気づけるような微笑み。
そうでしょうか、と小さく疑問を述べた皆本に、担任はこう言った。
「そうでなければ困ります。我々も、出来る限りの指導はします。けれど最後に頼りとなるのは、何と言っても家族なんですから」
そう言いながら担任は、唇に人差し指を当てたままそっと立ち上がると、いきなり入り口ドアを開いた。
「あたたたっ」
とたんに部屋へ転がり込んでくる、数人の固まり。
体をさすりながら立ち上がったのは、こともあろうに話題のチルドレンたちであった。
「お、お前ら……立ち聞きしてたのかっ!?」
あまりのことで、つい立ち上がって怒鳴ってしまった皆本へ、彼女たちは涼しげな声を返す。
「だって、皆本が呼ばれたからには、あたしたちのことでしょーが。聞かずにはいられないじゃん」
「せや。隠し事すると、皆本はんのためにならんでぇ」
「どんなこと思っていたのか、じっくりと体に聞いていいかしら?」
にこやかな、しかし悪魔の笑み。
蛇に睨まれた蛙のごとく、脂汗を流してじりじりと後退した皆本は、壁にまで追いつめられたことで、つい後ろを向いてしまった。
チャンスとばかりに、さっそく三人が彼を襲う。
拳骨でこめかみをグリグリと痛めつける薫に、両脇腹をくすぐる葵と紫穂。
痛いやら苦しいやら恥ずかしいやらで、皆本は外聞へったくれなく懇願してしまった。
「たっ、頼むからやめてくれっ! 帰ったら美味いもん食わせてやるからっ!!」
「本当だよな?」
にたっと笑った三人に、彼は頷くことしか出来ない。
言質取ったからなと、ここに来て彼女たちは先生の目を気にしたのか、あっさり引き下がった。
そして、先生さようなら、と大声で挨拶すると、素早く先に帰って行ってしまった。
あっけないほど爽やかな退場で、帰ってからどんな要求がなされるのかと逆に怖い考えを抱いてしまうではないか。
「あいつら……何させられるんだか」
そうぼやいた皆本へ、担任は、またまた笑いながら話しかける。
「まあまあ、それだけ貴方が慕われているってことですよ」
そうですか、との問いに、そうですよ、とも答える担任。
彼女から見て、彼とチルドレンとの関係は、本当の家族のような遠慮のないものと映ったようである。
笑いすぎたのか、数回深呼吸したのち皆本へ、大丈夫ですよ、と担任は再度言った。
「これまでの行動を聞いてましたし、学校でのあの子たちも見てますけれど、あんなに楽しそうだってことは良い証拠ですから」
「……はぁ」
もはや、何のために呼び出されたのか忘れはて、疲れ切った皆本には、そんな簡単な相槌しか言えなくなっている。
その様子を見て、仲が良いのはイイことですよと笑った担任は、野菜の件よろしくお願いしますと念を押したのち、ドアを開けて優しく皆本を送り出したのだった。
そして、その夜。
皆本は、不本意ながらも約束してしまった美味しい食事を作るため、孤軍奮闘していた。
リビングからは、三人でゲームに興じているのか、にぎやかな笑い声が聞こえる。
何で僕一人で作らねばならないのか、と皆本は少々面白くなく思ったが、やむを得ない。
どんな状況であれ、約束は約束だし、それに、担任から頼まれた件もあるためだ。
彼女たちの健全な発育のため、食事もきちんとしたものにしなければならないのは重々承知。
それがため、事情を説明して仕事を早引けした皆本は、二時間ほど素材と格闘したのち、待ちくたびれているだろう彼女たちへ自信作を持っていくことにした。
「これをまずいとは言わせないからな」
不敵な笑みを浮かべる皆本。
ハンバーグとかグラタンなど、好き嫌いの激しい紫穂でさえ大好物なものを用意したのだから、絶対に文句を言わせないとの確信がある。
少なくとも、自分の味覚では問題ないと皆本は信じている。
「皆本、早くー」
そんな言葉をいい、雛鳥よろしく食事を待つ彼女らは知らない。
これらの肉料理は、魚や豆腐などが素材となっており、本当の肉は一切入ってないことを。
美味しいと言ってくれる様と、更にはそれの材料を告げられた際の驚愕の有様を思い浮かべる皆本の顔は、実に楽しげであったのだった。
―終―
> 短編 > 『知る』ことは……
『知る』ことは……
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
知ることは、力なり――
そう覚えたのは、いつのことだろう。
少なくとも私、三宮紫穂にとって、それはそんな最近のことではない。
パパたちが私を愛していると知ること、それがたぶん、最初に力となった『知識』だろうと思う。
もう、ずいぶんと過去のこと。
懐かしくて、少し涙が出てきちゃう。
だって、その後のことを思うとね、なんて無邪気な行動を取っていたのかと苦い笑みがこぼれちゃうから。
そして、嬉しく思ったことが、私に更なる力を与えることを知らなかったから。
私が知ったことを披露すること。
パパたちの喜ぶ顔が見たくて、私はそれを続けてしまった。
もっと知りたくて、もっと笑顔が見たくて、つい、他の人たちに触れてしまうまで――
真実と虚構。
人間は嘘は吐くことを、私は覚えてしまった。
物体から直接知ることを覚えた私にとって、それは衝撃的な事実だったはず。
たとえ知りたくないと思っても、過去にあったことは無くならない。
おねしょして恥ずかしかったことも、嫌われて苦しく、思わず物を投げつけたことも、家の中を視ればすぐに分かってしまう。
布団も、壁も、嘘を吐かないのに、何で人間は嘘を吐くの?
尋ねても、能力を使っても、誰も答えてはくれなった。
当たり前よね。
今ならそう言える。
でも私は、まだ幼くて、真実に近いほど隠したくなる人間の性を理解出来なかった。
事実を知られて喜ばず、逆に恐怖する人が居ることを知ったとき、私はその人に突き飛ばされていた。
両親以外に見知った、でも、ぜんぜん見たことの無い人が、私を指差して言う。
「こいつは化け物なのっ!?」
私を撫でてくれた優しい手が、傷つけるための凶器と化す。
そして私は、今後について悩む両親へ心配掛けたくなく、勧められたバベルへと素直に行くことにした。
一種の隔離だと知りつつも、それしか取る道筋が無さそうだったから。
――知ることは、悪?
人の顔色が瞬時に変わることを体験し続けて、私から知る喜びは消え失せた。
誰かが愛してくれても、褒めてくれても、サイコメトリー能力を使うことがその人の恐怖ともなりうるのならば、知らなくていい!
たとえ能力を使わなくても、私が能力を使えると知られただけで、私の周囲から人間が消えていく。
そんな、立ち去った事実を知ることが義務であるのならば、この能力に、何の意味があるだろう?
バベルでは、手のひらを返したように能力を使うよう指導されたけれども、それがますます私を孤独にしていく。
様々な事件の物証から知る、人の理不尽さ。
バベル職員が取る、覆い隠そうとしても分かってしまう恐怖心。
耐えきれず、立ち去っていった幾人もの関係者。
私と言う色眼鏡を通してしか知ることの出来ない事実がいくつあろうとも、その中に私を変える内容があるのだろうか?
知れば知るほど、喜びが溜め息として心に降り積もっていくことを、変えられはしなかった。
いくら本を読んでも、立ち振る舞いの意味を理解しても、みんな、能力だけを気にするのに!
私個人を知ろうとする人間なんて、居やしないのに!!
あたかもガラスに透明さが求められるかのように、私の能力だけが磨き上げられていく。
ぶつかる鳥が居ようとも、覗き込んだ人間が反射の光に射られようとも、まるでお構いなしとばかりに扱われる私。
私を構成する、脆さや、曇りや、僅かな気泡が悲鳴をあげる。
ただ、能力が高いばかりに、更なる高さを求められる機械へ、心なんていらない!
知る喜びなんて、もういらない!
ずっとそう思っていた。
あの人が、心を読まれてもなお、自ら私と手を繋いでくれるまでは――
「今、ガキだなって思ったでしょ」
今日も今日とて彼の、皆本光一さんの思考を私は無意識のうちに読んでしまっていた。
途端に、彼が身構える。
その言葉を切っ掛けに、同僚の明石薫ちゃんが彼へ攻撃するって知っているから。
彼は私たちの上司であり、年齢だって、十歳も年上。
なので私を、そして同い年のチーム構成員全員を子供としてしか扱ってくれないのは、理屈では分かる。
そう、私たちはまだ小学生なのだから。
けれど、薫ちゃんはいつも不満そうに、それを否定して叫ぶ。
「ガキって言うなー!」
私も、彼が仕置きされちゃうって分かっているのに、彼が痛めつけられちゃうのが分かっているのに、たった一つの事実、それだけをつい口にしてしまう。
彼の手が温かいのは分かっているのに、受け入れてくれるのも分かっているのに、彼の心を読むことを止められはしない。
何故って……私を淑女扱いしてくれないのが、とても悔しいから。
これって、おかしいのかしら?
少し前までは、読んだその結果がどうなろうとも、全く気にしていなかったのにね。
そんな思考で僅かに顔をしかめていたら、薫ちゃんの仕置きが炸裂し、既に皆本さんは床へ倒れこんでいた。
勝ち誇った薫ちゃんの横で溜め息を吐くのは、もう一人の同僚、野上葵ちゃん。
「皆本はんも学習せぇへんなぁ……」
そうは言っているけど、きっと、彼は学習してるわよ?
でも、私が少々誇張してしまうわけで……その、だって、彼の驚いた顔とか困った顔が、とても愛らしく感じられるのだもの。
つい口にしてしまっても、おかしくないわよね?
でも本当は……そうじゃないわよね、きっと。
「紫穂。頼むから、僕の心を読むのはともかく、適当なことを言わないでくれ……」
へたっていた床から何とか立ち上がった皆本さんが、そう懇願してきても、私は微笑みと共にこう返す。
「だって皆本さん、レディとして扱ってくれてないでしょ? 読まれて当然じゃない」
「んなことあるかー!」
彼の言い分がたぶん正しいことも、私の方が理不尽なのも、頭の中では分かっているのにね。
怒った顔も、また素敵だと思い、私は髪を掻きあげながらさらりと言ってのける。
「一番可愛いって、そう言ってくれたら止めてもいいわよ」
絶句し、呆れた顔をした皆本さんは、予想通りにぶち切れた。
「そんな台詞、十年は早いっ! お前らはまだガキだっ!!」
あーあぁ、とうとう自分から言っちゃったわ。
皆本さんは自らのしでかした失態にハッと気づき、脱兎のごとく逃げる体勢へ移行しようとしたけれど、もうそれは遅すぎた。
「へっへー。まいったか」
「皆本はん。いい加減学習したらどや。今度は失神フリーフォールをおみまいしたろか?」
またまた壁に叩きつけられ、叫び声を上げている彼を見ながら、さも不愉快だとの口調でそう野次る、薫ちゃんと葵ちゃん。
チームメイトとして、私は彼女らを信頼しているけれど、それでも仕置きばかりでは皆本さんが全員を嫌ってしまうかもしれず、私はフォローを入れた。
「まぁまぁ、私たちの修行も足りないんだろうし、それくらいにしときましょう」
そして、ほっとしたところを見計らって、こう言う。
「次は、育った私たちを楽しんで貰わないといけないしね」
ガコンと頭を床へ打ち付けた皆本さんを横目に、どっちが育っているか、あるいは育っていないかで、即座に葵ちゃんと薫ちゃんは言い合いを始めてしまった。
まったく、こりないわよねぇ。
思わず、苦笑しちゃうじゃないのよ。
出遅れた私は、自分が切っ掛けであるにもかかわらず、それを一人で見ている状況となってしまった。
周囲だけが騒がしい、これが今の日常。
でも、私が触れて、何かを言ったとしても、以前みたいに壊れたりしない日常が、今ここにある。
それが何故かを理解出来る。
きっと、ううん、絶対に皆本さんが居るからそうなるんだと、そう感じられる。
そして、私はいつか彼の傍にて――
不意に隣から溜め息が聞こえた。
見ると、皆本さんが私と同じように苦笑しているのが分かった。
ふふっ、私たち、同じこと感じているのね。
顔が火照っているのを気づかれないよう、軽く呼吸を整えてから、頭痛を感じているであろう皆本さんに、私はそっと手を差し伸べる。
「そろそろ立たないと、今日の検査に間に合わないんじゃない?」
すると彼は、さっき心を読まれたにもかかわらず、何事もなかったかのように私の手を取って立ち上がると、喧嘩を続けている二人へこう言った。
「こら、お前ら。そろそろ行くぞっ!」
喧嘩仲間に加われないのは、ちょっぴり寂しい。
でも、こうやって先に彼の手に引かれて歩き出すことが出来るのは、それを補って余りあるほど。
私を普通に扱ってくれる彼のこんな態度が、何と私を変えることか。
能力におびえず、絶望せず、普通に私を受け入れる態度のなんとも言えない心地良さが、どれほど私を勇気付けることか。
ずっと変わらない彼の心を知って、私の力は強くなる。
強くなれる。
知ることは、力なり――
私は、今さらのようにその言葉を噛み締めて、そっと彼の指へ自分のそれを絡めると、心の底から幸せな力が溢れてくるのを実感するのだった。
―終―
> 短編 > what's your codename?
what's your codename?
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
今日も今日とてバベル内部の施設で訓練を続けていた『ザ・チルドレン』の面々は、それぞれに非常識とも思えるほど能力が高いことで、検査観測員から驚異の眼を向けられていた。
何せ重さ数十トンにも及ぶ戦車を数台纏めてひっくり返したり、連続数百回のテレポートに成功したり、厚さ十メートルの鉛越しに情報を読み取ったりするのだ。
いくら能力を知らされていても、実際にそれをおこなわれて、驚くなと言われるほうが無理がある。
とはいえ、日本随一のエスパーである彼女らに取り、その程度の訓練はいつものことだったし、結果に驚かれても今さらだ。
そしてまた、遠巻きにされることも、悲しことにいつものことであった。
バベルには超能力者がいるが、彼女らの域に近い能力を持った人は、ほとんどいないのだ。
昔はそれでひねくれていた彼女たちだったが――僅か五歳から隔離に等しい待遇で育てられた子供たちなので、歪まないほうがどうかしている――ただ一点、以前と違うのは、今の彼女たちには皆本光一が居てくれることだった。
超度七の彼女らを普通の子供と扱ってくれる上司、皆本が居なければ、どうなっていたか、誰にも想像することは出来ない。
今、周囲の人間と彼女らが表面上とはいえ普通につきあえているのは、上司としても人間としても、彼が心を閉ざさなかったから。
他の付き合いも無きにしもあらずだが、バベル局長桐壺は彼女らを溺愛傾向であるし、その秘書朧は、逆に何を考えているか良く分からない感じがする。
直前の上司に至っては、従わない彼女らを電流で虐待していたのだ。
本人は躾と称していたが、子供に対する行動として、それを額面通りに受け取れる人は少数であろう。
長年にわたる経過から、普通の子供として見られないことは既に慣れっことなっている三人だったが、ふと、嫌気がさしたのか、リーダー格である明石薫は、今日に限って訓練の合間にこう呟いた。
「あのさ……このまま頑張って、能力が超度七を越えたらどーなるのかな……」
エスパーのレベルは、国際基準で七段階と定められている。
日本記録を更新し続ける彼女らは、既に最高の超度七と認定されていたが、さて、その上はあるのだろうか?
先ほどの観測員による畏怖の目を思い出しながら、同僚、野上葵はこう答えた。
「それ以上の名称は無いって話やで。別に、今までと変わらへんのやないの? どのみち、今の日本にウチら以上のエスパーは居ないんやから」
何を今さらと言った風の言葉に、薫は少し口ごもった。
「でもさあ、何と言うか、変わってもいいと思うんだよね……」
「何がやねん?」
「だってさ、あたしたちだけ特別に認められたら、カッコいーじゃん! 『あたしたちが最強!』って感じで。何か特別な名前付けてさ、華々しくパーッと誰もがうらやむような、そんなコードネームになったら良くない?」
特別視されることで反発が来るのは、薫も重々承知のはずなのだが、今日は体調が優れなかったのだろうか。
その提案は、逆に特別扱いされることを肯定する内容だった。
みなから信頼されている皆本が、今日に限って別な場所へ出張していることも影響しているのかもしれない。
薫の、無謀とも言える言葉に呆れた顔を見せた葵だったが、黙っていると彼女がどこまで思考を暴走させるか分からず、いぶかしげな視線を送りながらも話を合わせた。
「別に、今のままでも十分と思うんやけど……薫には何か考えているのあるのん?」
葵も、少しは気晴らししたかったのだろう。
言葉には、困っている中にも面白がっているような響きが含まれている。
ところが薫は、いとも簡単に質問を投げ返され、少し慌てた。
「え、えっとぉ……とっさに返されると出てこないような。あはは」
「そんなんで提案しよーと思たんか。もしかして、他力本願?」
今度こそ呆れた顔となった葵に、ムキになって薫は続ける。
「ち、違うってば。こう、『レベルセブンプラス』とか、『エイトウーマン』とか、超度七のうえだから超度八としてパッと思い付くのはあったんだけど、何かしっくりこないなーと」
「あのなぁ、さっきからゆーとるやろ? 超度八は無いと……」
溜め息を吐く葵の傍で、同じく同僚、三宮紫穂が面白そうねと、いつものお菓子を食べながら提案をする。
「超度八が駄目でも、『八』にちなんだやつを勝手に付けるのは構わないんじゃないの?」
「せやかもしれんけど……何かあるんか?」
あんたまで何を言い出すんや、との冷ややかな視線を軽く受け流し、紫穂は少し考えてから、ゆっくりと言った。
「そうねぇ……『エイトスリー』とかなら別に気にならないと思うわ」
おしゃれに気を遣う、実に紫穂らしい提案だが、元ネタが分かりやすい分、それが採用される見込みは限りなく少ない。
「何か、どこかで聞いたような名前ばかりやなぁ。独創性あるんかいな」
葵の溜め息に、紫穂は少々ムッとした。
「それなら、葵ちゃんだって色々考えてよね」
「ええっ! いや、ウチら、今のままでいーんじゃないかなと思うんやけど……第一、皆本はんが言いづらいんやないか?」
どこまでいっても超度が変わらないのなら、別にコードネームを変える必要は無い。
それに、敬愛する皆本が自分たちをいつもの通り扱ってくれるのならば、出会った当初からの名称を変えるのは、彼に不都合ではなかろうか。
とっさのときに以前のコードネームを言いそうになり、調子が狂っては本末転倒だ。
そんな葵の逡巡を無視し、薫は豪快に笑った。
「そんなのさぁ、皆本を調教しちゃえばいーじゃん!」
「な、な、な、なんつーこと言うとるんや! ちィとは自重しい!!」
頭痛が起きそうな薫の提案に、葵は顔を赤らめながら眼鏡の中央を押さえた。
さすがは自称チーム一の常識人である。
が、その常識が邪魔をして、薫の言葉がいかに非常識なのか指摘出来ないのが腹立たしい。
また、自分で常識人と言っているため、受けを狙えそうな名前を思い付いても言えないがまた癪に障る。
『エンジェラー・スリー』とか『レディズ&ボウイ』とか、思い付くのはあるのだが、自分でも面白いとは思えないからには、すかさず却下されてしまうだろう。
ましてや、言いやすそうなと言われ思い付いたのが『スーパーセブン』だなんて、お買い物にでも行くのかと揶揄されそうで恥ずかしくてとても言えやしない。
「もうちょっと暴れられそうな名前もいーかなぁ」
先ほど相対した戦車だけでは暴れ足りなかったのか、そんな言葉をのたもうた薫に、冷静な紫穂の突っ込みが入る。
「薫ちゃん。それだと、梅枝ナオミさんのとかぶるんじゃないの?」
彼女も同じバベルの同僚で、いつもは礼儀正しいのだが、色々あった結果、現在のコードネームは『キティ・キャット』から『ワイルドキャット』へ変更となっている。
一瞬、そうなった経緯と、原因である思いこみの激しい彼女の上司を思い出し、それも嫌だよなーと溜め息吐いた薫は、他になにかあるかと額に左手の指を当て、もごもごと呟く。
「超えるんだからスーパーとかアッパーとか、可愛くレディースとかドレッシーズとか……」
そのうちに、何か思い付いたのか、彼女はおもむろに顔をあげた。
「……あたしたち、普通の人に見られないならさ、いっそのこと……」
「と?」
「『ウルトラセブンズ』でどーかな?」
とたんに、他の二人が反対する。
「あほかいな! そんなん、版元が許さんと思うでぇ? いくらコミカライズしてるっつーても、それが許されるんなら、ファイターブルーズでもええやん!!」
「それだと、葵ちゃんの色だけになっちゃうわよねー。コマンダーパープルとどっこいじゃないのかしら?」
薫の提案が、さすがに自分勝手に思えたのか、さりげなく自分のパーソナルカラーを売り込む二人であるが、彼女らの発想も似たりよったりだ。
改変と言うか、どこの悪人だかヒーローだか分からないような名前ばかりが出てきて、もはや収拾がつかなくなってしまう。
結局、何故変更が必要なのかとの当初の目的を忘れ、ひたすらに言い合って訓練を中断させてしまった三人は、出張から戻ってきた皆本にこっぴどく怒られた。
あたりまえである。
しかも、言い訳のついでに皆本に新名称の採決を仰ぐとあっては、盛大な溜め息を吐かれてしまっても仕方がないところである。
今は十歳の彼女らも、いずれは子供と言えなくなり、『ザ・チルドレン』のコードネームは変更されることだろう。
しかし、先取りして変える必要性があるのか、皆本には分からないし、バベル責任者の桐壺局長でさえ決めかねるに違いない。
言い合いで疲れたのか、夜になり、ベッドに辿り着くことなく眠り始めた三人をソファーへ横たえ、毛布を掛けてあげた皆本は一人、始末書を前に今日の騒ぎを振り返った。
「コードネームを変えるだけで、僕が君たちの扱いを変えると思ってるのか? まったく……」
今は皆本にとり、三人とも手が掛かるものの、単なる子供たちだとしか思えない。
たわいもない話題で大騒ぎしていること、それ自体がまだまだ子供の証であると、そう考えざるを得ないのだ。
なので、出来事を反芻すればするほど、彼は苦笑するしかなかった。
「これ以上騒ぎが大きくなったなら……」
局長から、三人の代わりに書けと押しつけられた始末書を、コーヒー片手に処理していた皆本だったが、ふと、以前テレビで見た番組を思い出して、こう呟く。
「いっそのこと、『三人が斬る』とでも改名してやろうか? それとも、『アタック・オブ・ザ・キラキラエスパー』のほうが良いかな?」
自分でも、疲れてしょーもないことしか思い付かないなと考えつつ、日一日と心身の成長を続ける大暴れ三人組に、皆本は、溜め息を吐きつつも暖かい眼差しを送るのだった。
―終―
> 短編 > 眼鏡の色は
眼鏡の色は
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
イラスト:サスケ
「どうした、葵?」
皆本光一がふと隣を見ると、彼が指揮するエスパーチーム『ザ・チルドレン』のメンバー野上葵が眼鏡を何回も掛け直し、真剣な顔付きで手に持った紙を見やっていた。
眼鏡を外し眼を細めたことでいささか目付きが悪く見えるのは仕方ないが、口をへの字に曲げることまでしなくとも良いだろう。
たまにむっとした顔付きになることはあるが、こんな表情の葵は少々珍しい。
どんな問題が、と疑問を投げかけた皆本へ、葵は、ハッと顔を上げて、困ったような口調でぼそぼそと答えた。
「あ、皆本はん。ええと、その、今、ちィと眼鏡の調子が悪うて……」
「え? 先月の検査では問題無いって言ってたんじゃなかったか? ……なるほど、先週の検査はサボったな?」
ははーん、とすぐに皆本は納得した。
何せ、葵の眼鏡は特注なのだ。
なのに調子が悪いとなれば、そう考えるのが皆本にとっては自然である。
その結果は葵の自業自得なのだから、彼は強くとがめる気がしなかったものの、その口調には内心の苦々しさがあらわれてしまったようで、聞いた彼女は狼狽しながらも即座に反論した。
「そ、そんなことあらへん! ちゃんと行ったで」
「そう言っても説得力ないぞ。いくらまだ成長続けているって言っても、たった一週間程度で急激に能力が伸びるはずないだろ?」
「……」
言い逃れは通用しなかった。
押し黙った葵の後ろから、ひょっこり三宮紫穂が顔を出す。
彼女も同じチームなので、同僚の不調はとても気になるのだ。
しかし、今の話は聞いていたようだが、理解出来てはいないようで、紫穂の顔は疑問符いっぱいの顔となっていた。
「……いまいち話が見えないんだけど、皆本さん、何の話をしてるの?」
対する皆本は、紫穂も知らなかったのか、と僅かに驚いたものの、ざっと説明をした。
「ああ、葵の眼鏡は特別製なんで、検査のたびに調整してるんだ。で、先週おこなうはずだった検査の一部を葵がサボったって話」
説明とは言いつつ、どのように特別なのかを話さないでは、意味不明だろう。
説明聞くより直接『視た』ほうが早いわね、と紫穂は葵の眼鏡に手を伸ばした。
彼女はサイコメトラーなので、物体から直接情報を入手出来るのだ。
「一見、普通の眼鏡に見えるけど……」
紫穂の能力に呼応してか、触れられた眼鏡が僅かに震えたような反応を見せる。
「なんかさー、アイテム鑑定でもしてるようじゃん」
いつの間にかチーム最後のメンバー、明石薫も目前でそんな言葉を発している。
まったく、みな、どこに隠れているのだろう。
皆本の指揮下にあるはずの彼女らは、僅かでも不満ごとがあると即座に仕事へ消極的態度を取るくせに、こういった少しでも妙なことがあると、呼ばれなくても野次馬根性でどこからともなく顔を出すのだ。
テレポーターの葵ならともかく、サイコメトラーの紫穂もサイコキノの薫も、まるで葵と同じ能力を抱えているがごとくに現れるのは、皆本が彼女らに感じている七不思議の一つとなっている。
「鑑定終わったら、呪われたりして。きししし」
学校へ行くようになり、クラスメートからゲームの話も聞くようになった薫が、そんな感想だか揶揄だかを漏らす。
「そんなんなってたら、架けられへんやないか。感化されるのも、たいがいにしとき」
呆れた口調の葵を尻目に、紫穂が突然驚いた声を出した。
「これ、空間感知能力を抑制してるの!? テレポーターなのに、こんなの付けて……」
「仕方ないやん。必要なんやし」
葵はそうぼやくだけだが、さすがに脳天気な薫も重大さに気付いたか、皆本を見上げて懇願した。
「そんな大層なもんなんていらないじゃんか! ちょっと、皆本。リミッター以外にそんなの必要なんて、絶対理不尽じゃん。どーにかならないの?」
言われて困った皆本が、確認を取るように周囲を見ると、やはり紫穂も同じような顔をしていたため、少しばつが悪そうな葵に替わり、皆本は説明を始めた。
「さて、簡単に言うと、テレポートする際に必要なのは、移動先に何があるのか感知必要なことなんだ。石の中に閉じこめられないためにもね。で、葵の能力は少々高すぎるので、移動先感知内容と実際の移動先がズレないよう、眼鏡で焦点調整の補正をしてるって訳」
「なんか分かんなーい」
全然簡単ではない内容を聞き、案の定、薫は音をあげた。
なので、むう、と唸ってから皆本は、出来る限り噛み砕いて説明しようとする。
「具体的に言うと、移動先にあるものと実際目前にあるものとを区別する必要が生じるためなんだけど……で、能力が高すぎると同一認識へと陥る可能性が高くなって……眼鏡を使用することにより向こうとこちらの空間焦点を脳内で補正させることが楽に……」
「……ますます分からないわよ……」
言い直すたび複雑化する内容に、ぼそっと紫穂も溜め息を吐く。
葵の能力、テレポーテーションは、まだまだ科学では説明しきれない部分が多い。
そもそも、無意識下でおこなっている行為を言葉で説明しようとするのは困難なのだ。
元とはいえ研究者の常で皆本は出来る限り噛み砕いて説明し、納得させようとするが、それがため小学生へ専門知識を披露するのは明らかにやりすぎである。
長くなる一方の説明に、とうとう薫が切れた。
「分かんねー!」
大声を出し、皆本の説明を遮った彼女は、彼へ向かってこう言った。
「ようするに、葵の眼鏡は近眼用眼鏡じゃなくて、遠近両用眼鏡だってことだろ!?」
「その理解はどーかと思うが……」
確かに、現在場所とテレポート先、遠くと近くの区別を付けるのを助けるため開発された眼鏡なのだが、少々たとえが異なる気がしないでもない。
もう少し良い言い回しがあるだろ、と皆本は言い掛けたが、紫穂は右手をずいと出してそれを遮った。
「まあ、皆本さんもその辺で妥協しといたらどう? これ以上専門知識を出されても、こっちが着いていけないわよ」
頭が痛むようで、左手がこめかみに添えられた彼女の様子を見、皆本は首をひねりながら葵へ尋ねる。
「うーん……そうかなぁ。薫も紫穂もああ言ってるけど、葵はそんな理解で構わないか?」
「いいはずあらへんやん!」
他の二人が困惑してる中、怒ったような口調で葵が苦言を発する。
理由が分からず、薫は尋ねた。
「なんで? だって分かんないんだもーん」
あんた、頭悪いとちゃうんか――
そんな言葉が聞こえてきそうな鋭い眼光を伴い、畳み掛けるように葵が言う。
「それだと、まるでばーちゃんになったみたいで嫌やん! まだピッチピチのギャルなんやで!? なのに老人性眼鏡を掛けてるみたいに思われるんは、納得いかへん!!」
「ばーちゃんみたい……ぷっ」
理由を聞いて納得するどころか、薫は吹き出した。
「何が可笑しいんや」
むっとした葵に、笑いを堪えながら薫が理由を述べる。
「だってさー。年を取ってても、不二子ばーちゃんみたいに若く見える人だっているじゃん。問題ないじゃんか」
不二子ばーちゃんとはバベル重鎮、蕾見不二子氏のことであるが、彼女の実年齢と外見は、実に六十年以上もの開きがある。
もちろん、外見のほうが若いのは当然であるが、彼女をたとえとして出されても――
それとこれは、何かが違う。
絶対に、何かが違う。
薫の理解は、皆本も紫穂も、当の葵でさえも呆れてしまった。
「そんな問題、かいな……はぁ」
気の抜けた返答しか出来そうにない。
険悪だった雰囲気が、一気に脱力へと変わっていく。
へたり込みそうだが、何とか気を取り直した皆本は、雰囲気が和らいだことをこれ幸いと口を開いた。
「ともかく、葵の眼鏡は特殊なんだけど、それを問題にはしないように。で、葵もちゃんと検査受けて調整しとくよーに!」
「はーい」
「はいはい、分かったで」
皆本の声へ薫と葵の同意が発せられる中、何故か一人、紫穂は考え込んだようだ。
「皆本さんが言うのは、色眼鏡で見るなってことでいいのよね……ふーん、なるほど」
言葉で捉える限り、小さく呟いた紫穂の理解の内容は、間違っていないよう思われる。
が、その裏には別な意味が隠されているような感じもする。
彼女の楽しそうな表情を目ざとく見つけた薫は、何かあるの? と尋ねた。
「えっ? あ、あの、その……」
しかし紫穂は、それへ珍しく言いよどんだ。
毒を含んだ内容でさえすぱっと言い切ってしまう紫穂にしては、かなり珍しい態度だ。
みなから興味津々な態度で詰め寄られ、場を切り抜けられなかった紫穂は、最終的に、もじもじしながらではあるが答えた。
「あのね、その、葵ちゃんのこと色眼鏡で見ないから、えーと、その、私のことは皆本さんの……『エロ眼鏡』で見て欲しいなって……きゃっ、恥ずかしい♪」
可憐に頬を染め、顔を両手で抱えながら悶える姿は、年頃の女子であれば魅惑たっぷりの様子に見えるだろう。
が、まだ小学生の紫穂が取るのは、いささか不釣り合いであり、更に言えばいつも毒舌吐きまくりのその口から発せられるとは思えない甘い言葉に、皆本の視界は歪み、眼鏡がずれ落ちる。
同じくずっこけた薫と葵からは、立ち上がるやいなや、剣呑なオーラが発せられた。
当然、紫穂へ突っ込みが入るはずだが、何故か二人は皆本へ振り向くなり、こう叫ぶ。
「皆本ぉ……その眼鏡は透視能力付きかぁ! あたしにもよこせぇ!!」
「皆本はんが、そんな眼でウチのことを……も、もうちょっと胸が育ってからだって言ったやん!!」
ああ、素晴らしきかな色眼鏡。
皆本のことを分かっているようで全然分かっていない感じの咆吼が、皆本の身体を文字通りぐるぐると回転させる。
いつもながらのドタバタ劇。
コミカルで、シリアスで、なんてドラマチックな恋愛劇。
眼鏡論争にならなかったのは皆本にとって幸いだったが、この騒動は、結局、紫穂が苦笑混じりにやめなよーと言うまで続いたのだった。
騒いで楽しむお年頃の少女たち。
その瞳には、いかなる未来が見えるのだろうか。
見たい未来、期待?
暗い未来、見ない!
願わくば、みなに幸多からんことを。
―終―
> 短編 > 鑑賞への干渉
鑑賞への干渉
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「皆本さん。チルドレンへの教育プログラムなんですけれど、提案のあったこの時間は何でしょうか?」
とある日の昼下がり、バベル職員の柏木朧は、廊下で配下の皆本を呼び止めて尋ねた。
皆本は特務エスパーチーム『ザ・チルドレン』の運用主任であり、その教育方針にも色々と考えを持っていることから、チルドレンの教育プログラムへ積極的に改良を提案していたのである。
主任となる直前までESP研究員として名を馳せていた人物だったこともあり、その知識は、そこいらの人間に負けてはいない。
なので、バベル局長秘書の立場で彼の提案をサポートする朧としては、これまでの提案は安心して桐壺局長へ決裁を回すことが出来たのだが、今回の修正申請内容は不可解であった。
「『鑑賞時間』とあるだけでは、変更出来ないんですけど……」
意味不明と言った朧へ、どれどれ、と何が疑問なのか彼女が指し示すバインダーを見た皆本は、あっさりと答える。
「これはビデオの時間ですけど、何か問題でも?」
朧のバインダーに挟めてあったのは、彼が今朝作った訓練予定表の変更案。
昨夜、色々と調べて必要な事項をプリントアウトしたので、今朝さっそく朧に届けたのだが、それで呼び止められるとは皆本は思ってなかったようだ。
天才のくせして問題の根本を理解してなさそうな、端的な皆本の答えを聞き、更に朧は尋ねた。
「だから、あの娘たちに何を見せたり聞かせたりするつもりなんですかって、そう聞いているんですけど」
本当に、何を聞かれているか分からなかったのだろう。
一瞬、皆本は目をぱちくりさせ、それから、あぁ、と相槌を打った。
「アニメです」
「アニメ……ですか?」
いったい、アニメで何を教えるつもりなのだろう?
少々眉をひそめ、いぶかしげな視線を送った朧へ、皆本は眼鏡を押さえながら論じた。
「そもそもの話ですけど、僕たちは今、敵についてどう対処したら良いのか、何も分かってません。反エスパー組織『普通の人々』は、獲物が通常兵器の範疇であるがゆえ、対処も立てやすいです。問題になるのは、ESPジャマーとのいたちごっこくらいですかね。けれど、同じエスパー――特に兵部へ対抗するためには、どうしても能力を開発する必要があると、そう思うんです」
「はぁ……で、これで何を教えると? 以前、年齢以上に能力を伸ばしていくことは、時期尚早と反対してらしたじゃありませんか」
朧の疑問も、もっともなことである。
確かにチルドレンの能力は、日本随一だ。
しかし、彼女たちはまだ十歳たらず。
能力は高くても、それに心身が付いて行かないため、これまで極力そういった内容のプログラムは組んでこなかったのである。
それへ、確かに、と前置きして皆本は答えた。
「今の段階じゃ、能力を伸ばしてもコントロールが追いついていかないのは分かってます。まだまだ子供ですし。でも、いつまでもそう言っていたならば、何も出来ません。なにより兵部との対決を考えるのならば、いくばくかでも悪あがきはしなければと、そう思うんですよ。多少ですけど、あいつらも考えるようにはなってきてますしね」
学者の悪い癖を彼も持っているのか、ここぞとばかりに皆本は熱弁をふるう。
「でも僕たちじゃ、超能力戦のイロハを教えるのは難しい――知識はあっても、どうあがいたって普通人ですから。だから、それを扱っている映像を見せれば、あいつらも考えの幅が広がるんじゃないかと考えたんで、この時間を組み込むよう申請したんです。本当なら実戦映像が欲しいんですが……さすがにバベル内での模擬戦闘程度ならともかく、軍隊レベルともなれば各国ともマル秘扱いで手に入れられないため、さしあたってはアニメしかないかと思ったんです。まあ、現段階ではこれくらいしかリストアップ出来ませんでしたけど、少しは役立つでしょう」
本当に、思惑通りとなるのだろうか?
どこに用意していたのか、ずらっと予定作が並んだリストを見せられて、はぁ、と朧は溜息を吐いてから読み上げる。
「超○ロック、ゴッ○マーズ、バビ○二世、ス○ーウォーズ……最後のはちょっと違うような……?」
「いえ、それも見せないと。善悪の判断に迷っては困りますから。それに、あの能力も超能力だと思いませんか?」
最後の作品で扱っている能力が、いわゆる超能力とは微妙に色合いが異なるとの突っ込みが無視されたのはともかく、チルドレンに対するときとは違い、皆本の口調はやけに丁重かつ幾分か無愛想である。
普段、彼女たちとの騒がしくも楽しそうな様子を見せられているため、朧には今の彼の態度が少々面白くなかった。
彼をスカウトしたときの、あの人を寄せ付けない雰囲気が感じられたためだ。
この申請が、彼女たちのためなのか、それともESP研究の一環なのかは、眼鏡に隠された彼の目を見てもハッキリしない。
最近はだいぶ表情が柔らかくなってきたと感じ、嬉しくなっていた朧としては、大いに不満だった。
そんな中で同意を求められても、朧には答えようがないではないか。
結局、皆本さんもマニアなのね、と何となくがっかりしながら――何でがっかりしたのかは口にしないが――彼女はリストに目を戻した。
一番下に購入予算の見積もりがあったので、その金額を見て、まあこれくらいなら問題ないかしらと思った瞬間、そのすぐ上の文字を読んで絶句する。
「……何ですか、これは?」
肩が震えながらの朧の問いに、皆本は、へっ、としか答えられなかった。
単にネットで検索した結果を印刷したのだが、こんなものだろうと思っていたため、この彼女の様子が不思議でならない。
何か問題あったのかと目で問う彼へ、朧は顔を赤らめながら言った。
「『愛のロック―69―』って何ですか? 『マーズとマーグと愛の金字塔』とか、いったい何を教えるつもりですかっ!?」
「……えっ!?」
タイトルを告げられ、慌てて皆本はリストをひったくった。
何かの間違いではないかと。
しかしそこには――まごう事なき怪しげなタイトルが、いくつも印字されていた。
どうやら、超能力関連で調べた後、タイトルで再検索したのがまずかったらしい。
一応見直しはしたのだが、毎日チルドレンの相手をして疲れていたこともあり、全く関係ない、子供には見せられない類の作品までリストアップされたのを見過ごしてしまったようだ。
「は、ははは……ちょ、ちょっと手違いが……」
何でこんなものまで検索に引っかかるんだー、と泡食っている皆本を朧はギロリと見て、不満そうな口調で告げた。
「精査が必要ですね。必要であれば、明日朝に再提出すること。いいですね?」
「は……はい」
「返事は大きく」
「はいっ!」
反射的に敬礼した皆本は、リストを手に、顔を赤らめながら逃げるように駆けだしていった。
このようないかがわしいものを購入予定だったなどとチルドレンに知られたら、どんな難癖を言われるか分かったものではない。
敵の仕掛けた夢において、にやにやしただけでさえ非難囂々だったのだ。
また、これらのタイトルを、小学生女子と同居中の独身男性が注文した事実を他人に知られたなら、それこそ身の破滅である。
特に、普段は友達として付き合っている某医師が知ったならば、声を大にして吹聴し、今後しばらくバベルに顔出すことが出来なくなるであろう。
一刻も早く証拠品のリストを処分するため走っていった皆本の後ろ姿を見て、朧は呟いた。
「まったく、あんなもの彼女たちに見せてどうするつもりだったんですか」
口調は幾分怒っているように聞こえる。
が、言っている内容とは裏腹に、こちらも顔を赤らめながら、と彼女は意外にもウブな反応を見せていた。
年齢は不詳なのだが、その態度から察するに、ああいった内容には比較的免疫が無かったらしい。
彼が視界から消えても、まったくもう、と溜息を吐いている。
どうやら、皆本が本気で購入予定だったと思いこんでいるようだ。
なお、タイトルだけ見て怪しいと気付く朧も本当は相当なものであるが、そちらは言わずが花のようである。
そんなもの購入しなくとも、と思い、何でこんなことを考えなければならないのかしら、と頭を振った朧は、ふと、何かに気付いたのか、手に持っていたバインダーの余白へ文字を書き込んだ。
「これも追加しておけば、彼も分かってくれるかしらね」
まだ彼女たちに遠慮を感じているため、自分からこんなことをして良いのか、いくら考えても明確な判断は付かない。
けれど、鑑賞会の事前審査で一緒に見る機会があるわよね、それで彼が行動起こしてくれたらと、そう思ったため、取りあえず彼が再提出するであろうリストに項目を加えるべくメモを準備する。
「せっかく近くに居てほしいとスカウトしたってのに、もやもやしちゃうじゃない」
そして、あぁもう、と悩ましい息を吐きながら、朧も歩き出す。
このごろ、周囲の人間から彼へのアプローチが積極的になってきているのを感じているため、自分もそうしなければ、とも朧は感じていた。
たぶん、躊躇している時間は、ごく僅かしか残されていないだろう。
ならば、二人きりの時間をこちらで作るのみである、と彼女は歩きながら考える。
彼からの提案なら、チルドレンにも言い訳が立つし、彼だって抗しきれないはず――
そう思い、笑みを浮かべた朧の顔は、いつになくバラ色に輝いていた。
そんな彼女の様子は、やっぱりと言うかお約束と言うべきか、皆本の動向を気に掛けている人物に目撃されていたのだが、それを彼女が知るよしは無かったのだった。
そして、色々あって後日購入されたビデオの中には――
誰かが紛れ込ませたのか、『オフィ○ラブ』とか『○リータ』とかの更に怪しげなタイトルのものもあったとかなかったとか。
しかし、支払いに回された書類には健全なタイトルしか載っておらず、また、購入されたアニメ等を皆本と朧が二人きりで見たのかについては、双方とも青い顔で口を噤んだまま、何も語ろうとしないのだった。
―終―
> 短編 > エンジェル
エンジェル
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「結局、皆本とキャリーは、相思相愛だったのかなぁ……」
いつもの訓練の合間に、明石薫は、ぽつんとそう呟いた。
バベルに所属している彼女ら『ザ・チルドレン』のメンバーは、定期的に検査やトレーニングを専用施設でおこなっている。
今日もそうした日常の一コマであったのだが、その最中、同様に訓練をしているとき上司である皆本光一を尋ねて来た女性のことを思い出してしまったのだ。
皆本のことを憎からず思っている薫にとって、たとえ昔の話だとしても、今後も僅かながら可能性がある限り、二人ですごしていた際の具体的内容が気になるのは当然のことである。
今日は順調に訓練をおこなっていたが、何せ訪問時は大変な事態が連続して発生――自分らで引き起こしたとも言うが――してしまっていた。
薫らは特注ガラスを壊して珍しく罰を受けてしまうし、皆本の上司となっている朧さんを始めとして興味津々な人たちが会談内容をテレパシーやクレヤボヤンスで探ろうとして後ほど大目玉を食らってしまうしと、色々あったのだ。
さんざん騒いだあげく、皆本の恋については、一応の決着が付いたのだが――
その相手、キャリーは二重人格者の片割れであり、更には人為的に生み出されたため、幼くて不安定な女性であったとなれば、普通の結果に終わるのを望むのは、少し酷な話であったのかもしれない。
皆本と別れたことを理由に、今は遠い宇宙空間にて眠る彼女を一方的に断罪することは出来やしない。
そう頭では理解しているが、薫には、今ひとつもやもやしたものが残るのだ。
小さめの声にもかかわらず、彼女のぼやきを聞いた同僚、野上葵は、何を今さらと言った。
「今は切れとるんやから、そんな声出さんといてもえーやん」
いつもは暴走しがちな薫を心配してか、葵の声は妙に明るい感じがする。
それが逆に癪に障って、薫はついムキになってしまった。
「でもっ! そう言っても、割り切れないものってあるじゃんか!! 葵だって、そーなんじゃないの?」
皆本を慕う気持ちは、薫も葵も、そして同じくメンバーの三宮紫穂も同様だ。
そう感じているからこそ、三人そろって彼の指揮下で働いているのである。
この前提が崩れた時、チームがどうなるのかは、薫も葵も知らない。
慕う気持ちが恋になり、愛になり、誰か特定の人物が皆本の隣に立ったなら、果たして残された人たちはどんな行動を取るのだろう?
今はまだ皆本から『子供だ』と言われ、一定以上の線引きをされているように思う。
しかし、あと数年も経てば――
それまで、彼が待っていてくれるならば――
都合良く時が止まることを期待するには、チルドレンたちは、あまりにも現実を知りすぎていた。
自分たちがエスパーで、今は日本政府の管理下に居ざるを得ず、そして一部の人からは恐怖の対象として見られていることを、好む好まざるにかかわらず、みな重々承知なのだ。
自らと皆本が好ましい関係を結べるか、頭の片隅に一抹の不安を抱えている葵は、薫の言葉を聞いて僅かに顔をしかめた。
「せやって……皆本はんは……」
思考が纏まらず、葵がもごもごと口を動かしているさなか、紫穂がどうしたの、と怪訝そうな顔で寄ってきた。
先ほど花を摘みに行っていたため、二人の会話を聞いていなかったのだ。
しかし、優れたサイコメトラーである彼女は、思考を読まずとも雰囲気を察してか、こう告げた。
「皆本さんのことなら、大丈夫よ。私たちが居るじゃないの」
「そうなの? それだけじゃ、十分じゃないじゃん……」
不安そうな薫の反論も、意に介した様子は無い。
「薫ちゃんが言うのは、キャリーのことでしょ? 大丈夫よ」
自信ありげに見えるのは、何故なのだろう。
「もしかして、皆本はんの心を読んだん?」
薫も葵も、他人の顔色を察しながら生きてきただけあって、皆本が表面上立ち直っているのは分かっている。
しかし、紫穂のように彼が大丈夫と言えるかと言えば、それは自信がない。
目を見れば、彼女が自分の能力だけを頼りに言っているわけでないのは分かるものの、さすがに根拠が乏しいため、薫は紫穂へ尋ねた。
「何で大丈夫なの? 皆本は、あんなに苦しそうだったじゃない!」
キャリーからの、永久に等しい別れの手紙を読み、物理的にも遠く離れてしまった皆本は泣いていたようだった。
紫穂もあの光景をかいま見てしまったのに、彼女一人だけが懸念を持たないのは、かえって不自然だ。
問われた紫穂は、そうねぇ、と一拍置いてからあっさりと答えた。
「だってキャリーは、肉体はともかく、精神的には子供だったのよ? それも今の私たちより小さな」
それは知ってる、でも――と口を挟むのを遮り、彼女は更に続ける。
「今回のことで、皆本さんは、基本的には子供が好きだってことが判明したじゃない。だから、私たちにもチャンスはある、と言うか、いつも『子供だ』って言われている私たちの方が、他の人たちよりずっとお眼鏡に適う存在だってことでしょ」
何と言う発想の飛躍。
「そんなもんでええんかい!?」
思わず叫んだ葵に、紫穂は微笑む。
「もちろん、今の私たちが皆本さんに相応しいかは分からないわ。でも、相手として可能性が一番高いのに、駄目だって言う根拠は全然無いでしょ?」
皆本の周囲で一番年齢が低いのは、たしかにこの三人だ。
私生活も含めたあらゆる場面でもとなれば、もっと低年齢の人は居るが、しかし、その人と親密になる時間が彼に与えられることは、まずないだろう。
紫穂の言葉は、もっともに聞こえる。
が、堂々と言うべき内容なのかには、首を傾げざるを得ない。
「うーん、分かったような、分かんないような……」
「屁理屈みたいやな」
大人となり、皆本と釣り合いの取れる女性になりたいと思っていた二人にとって、この逆発想はなかなか受け入れがたいものだ。
「……なぁ、紫穂。あたしたち、いつまでも子供でいられるわけじゃないのは、重々承知なんだろ?」
いぶかしげな口調でそう言った薫に、葵も同調する。
「せや。子供んままなら、結婚もできせーへんのやで?」
二人からそう言われ、紫穂は意外そうな顔をした。
「何、そんなこと心配してたの?」
「そんなことって……重大問題じゃない!」
薫が、大声を上げる。
紫穂の、まったく気にかけてない理由が全然分からないからだ。
日ごろ頭が良いと言われている葵にもさっぱり訳が分からず、薄気味悪さを紫穂に感じてしまう。
紫穂は突飛な発言をたまにするのだが、ここまで変だと、どこか頭のネジが無くなったのかとさえ考えてしまうではないか。
疑惑の視線を受けている当の彼女は、今にも後ずさりしそうな薫と葵の顔を交互に見ながら、あっさりと理由を告げた。
「皆本さんに必要なのは、少し語弊があるかもしれないけれど――彼と理屈ぬきで愛し合える、子供のような愛情を持った存在じゃないかなと、そう思うの。まるで無垢な天使のごとき、のね」
「それで?」
「だから、私たちがそうなるか……あるいは、さっさとそう言う子供を生み育てればいいだけの話でしょ。簡単じゃない」
かくん、とあごが外れた音が響く。
一瞬だけほうけて、慌ててあごを治した葵は、呆れた口調で反論した。
「どこが簡単やねん! 問題ありまくりやで!?」
知識としては知っていても、まだ満足な性教育を受けられる年齢でない葵には、紫穂の発言は飛躍しすぎていて、まるで月世界から聞こえてきたような感じがするのだ。
葵と比べ、少々その手の知識が先行している薫でさえ、『皆本が好き』と『自分と皆本の子供』が即座にイコールで結びつかないようだ。
むしろ、二人と同年齢、恋に恋するお年頃のはずの紫穂がこんなことを考えるほうが、どうかしていると言えよう。
「と言うわけで、この作戦を、さっさと始めましょ。ミッション名は……そうね、『エンジェル』でどう?」
西洋では、子供をエンジェルと称することもあるため、名称としてはあながち間違ってはいない。
もしかすると、皆本が彼女たちの背中に翼を幻視したことを知っているから名づけたのかもしれない。
紫穂の言葉と笑みが塊となって、薫の身体のどこかに、つっかえながらも落ちていく。
「なんてーか……その、紫穂には呆れたぁ」
どっと力が抜け、やっとのことでそれだけを言った薫は、まじまじと紫穂の顔を見た。
同じ年のはずだが、どこか成熟している感じのする、彼女の顔。
それはたぶん、気のせいではないのかもしれない。
ともあれ、自信満々な紫穂の顔を見ているうちに、葵も薫も、自分を取り戻してきたようだ。
何となく、彼女の考え自体は悪くない、そう思えてきたのだ。
キャリーとの別れで泣いていた皆本の姿は、忘れようにも忘れられない。
その彼を救えるのなら、何のためらいがあろう。
皆本の救いとなるのが、自分たちであって、どこが悪いのか?
年の差なんて、あのキャリーの精神年齢を考えれば、ずっと小さいではないか。
ようやく納得した二人の顔に、笑みがこぼれる。
それを見て、満足した紫穂は頷いた。
「それじゃ、ミッション発動ってことで、おっけーね?」
「うん、分かった」
「了承――やな」
そして、同意を得た紫穂は、先に行くわねと、くるりと後ろを振り向いて歩き始めてしまった。
「ど、どこ行くんや?」
泡食った質問にも、彼女は慌てない。
いかにも平然とした口調で、あっさりこう返す。
「どこって、皆本さんのところよ。昔から、先手必勝って言うじゃない。薫ちゃんも葵ちゃんも同意したし、言いはじめの私が先行するのが自然でしょ」
さらりと言ってのけた紫穂に、二人はまたもや呆気に取られた。
しかし、今度は呆けているわけにはいかない。
抜け駆けを絶対に阻止するべく、紫穂の先へと、さっと立ちふさがる。
「あら、そんなことしなくても、優先順位は既に決まっているから無駄よ。ねぇ?」
にこやかな、あくまでにこやかな顔で、紫穂が語りかけるようにお腹をさする。
「そんなん、ずるいでぇー!!」
「勝負パンツ準備してないのにぃ!!」
二人の絶叫が訓練場を越え、虚空にまで響いていく。
作戦が今後成功するかは、まだ誰も分からない……はずなのだが、ただ一人、紫穂だけは涼しい顔で微笑むのだった。
ちなみに、同時刻、皆本の昔話を知っていた賢木は、こんなことを呟いていた。
「そーいや、キャリーって、皆本とお似合いだったっけなぁ……」
賢木が知る限り、研究に没頭していた皆本が親しくしていた女性は、キャリーのみ。
その彼が子供だけのESPチーム『ザ・チルドレン』の上司となり、紆余曲折はあるにせよ上手くやれているのは、彼が子供好きのためだろう。
そう思った彼は、一人結論付けた。
チルドレンのみならず、昔の彼女も精神だけとはいえ子供だったからには、間違いじゃないはずだ。
なので、正々堂々言いふらしてやろう、と。
「やっぱり皆本はロリコンだな!!」
悔しがる女性陣をどう慰めるか思索しながら、しかし彼は、その発言が自分を血に沈めることにまでは思い至らないのであった。
―終―
> 短編 > 微妙な異名
微妙な異名
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「なぁ、皆本はん。『ゴッデス』ってどんな意味なん?」
いきなりそう問われた皆本は、僅かに眉をひそめて答えに窮した。
彼女は純粋な好奇心で尋ねているだけなのだろうが、問われた内容は、目前の少女、野上葵の未来における異名らしいからだ。
単なる異名と言うだけなら、すぐに答えることが出来る。
しかし、皆本が予知として見せられた未来、エスパーと普通人が争っている破滅の未来世界において葵がそう呼ばれているらしいなどとは、口が裂けても言うことが出来ない。
それで皆本は聞こえなかったふりをしようとしたのだが、単純に質問しただけの彼女は、そんな彼の態度をいぶかしく思い、自分で勝手に結論づけてしまった。
「もしかして、悪い意味なん? ……嫌やなぁ。そんなんで呼ばれるんは」
葵は既に一回、当面の敵である兵部からそう言われたことがある。
敵が言った事実、皆本が答えようとしない事実から悪い意味と推測したのだが、非常に面白くない内容だ。
溜め息を吐き、肩を落とした葵を見て、皆本は元気づけようと慌てて答えた。
「あ、いや、そんな悪い意味は無いって。神様の英単語『ゴッド』の女性形だから、『女神』って意味だよ」
「女神様!? 何だ、良い意味やないか。じゃあ、なんで言いよどんだん?」
不思議そうな葵へ、皆本は、その単語を当の本人に伝えてしまった誰かへ内心毒づきながら続ける。
「……何を言われたのか、一瞬分からなかったからさ。英語は小学校じゃ習わないだろ? それで意味把握が遅れたんだ」
「へぇ、意外やな。皆本はんでも、そーいうことってあるんか」
葵にとって、皆本は単なるバベルでの上司としての存在では無い。
今まで、彼女がどうしても受け入れられなかった普通人の上司であり、更に言えば、彼女の属するチーム『ザ・チルドレン』みんなが信頼を置く、ほとんど唯一の人間なのだ。
災害級の超能力を秘めていると知ってなお普通の態度を取ってくれる存在は、本当に少ない。
多少のいざこざはあるにしろ、そんなものはスキンシップのうちだ。
彼の部屋へなし崩し的に住まわせて貰ったりと、彼にとっては迷惑かもしれないが、四六時中顔をつきあわせて疲れない相手というだけで頼もしく感じられる。
その多大な好意の相手である皆本が、答えに窮してしまったのが珍しく、葵は意地悪なことを述べた。
「皆本はんでも言いにくいことってあるんかぁ。女神ってことは、美しいんやろ。だとすると、ウチは皆本はんの女神妻になるんやな」
「んなことあるかっ」
皆本が反射的に突っ込んでも、目を輝かせた葵は一向に気にしない。
「女神様かぁ……ぐふふふ。えーこと聞いた。二人にも教えたろ」
よほど皆本の言いにくそうな態度がツボに入ったのだろう。
「皆本はんから女神って言われたんやから、これは将来ばっちりってことやろなぁ。公認の仲へ一直線ー!」
今にも飛び出して言いふらしそうな葵を、皆本は必死で止める。
「頼むから、他人には言わないでくれっ。誤解受けるだろっ。問題山積みなんだっ!!」
舞い上がっている葵の頭からは綺麗さっぱり抜け落ちているようだが、その単語は、兵部が発した言葉なのだ。
既に日本政府には、チームの一人、明石薫が兵部から『女王』と呼ばれていることを知られている。
また、チーム最後の一人、三宮紫穂も『女帝』と名付けられていたりするのだ。
今はまだ、薫のみが問題視されているだけなのに、葵の発言が元で日本政府に全員異名を付けられていると知られたならば、皆本を含めたチーム全員、将来に禍根を残さないよう即座に抹消されてしまいかねない。
どう転ぶか分からない将来のことで波風は立てない方が良いのだが……
悲しいかな、その真相を葵に告げることが出来ないため、必死な皆本の態度を見て、彼女は誤解を深めてしまった。
「そりゃ、問題山積みに決まってるやん。結納の日取りやろ、指輪のデザインやろ、それに……」
にやにやしながら、問題点を一つ一つ指折り数えていく葵。
目を覚まさせようと、しかめ面になった皆本が彼女の右肩をゆさぶすろうとしたが、葵はさっと後ろへ避ける。
と、まだ壁へ行き着いていないのに、その身体は何かにぶつかってしまった。
「なーに言ってるんだって。皆本が葵のもんだって、まだ決まってないだろ? 一人で勝手に決めるなよな」
皆本にとっては幸いなことに、葵がすぐに飛び出すことをしなかったおかげで助けが来たようだ。
嬉々としていた葵の頭を、そう言ってこずいたのは薫だった。
いつの間に来たのか全然気付かなかったため、皆本は声くらい掛けてくれよと注意したが、それに薫は不機嫌な顔で答えた。
「だってさー、なんか面白くなかったんだもん。葵は舞い上がっちゃってるし、皆本は必死そうだったし……」
そして、ビシッと指さしながら大声を発する。
「面白そうな話題なら、あたしも混ぜろっ!」
思わずのけぞった皆本を余所に、余裕の笑顔で葵は反論した。
「面白そう? 面白くない話題の間違いとちゃうんか。ウチと皆本はんのラブラブな話題やからなぁ」
「あ、あたしだって皆本の『女王』だもん。皆本を支配してるんだから、負けてないやい!」
薫も、既に何回か異名で呼ばれたことがある。
兵部のみならず、彼に協力するエスパーたちは薫を『女王』と呼び、しかもその意味を言わない。
トランプなどで自分の単語の意味を知っていた薫は、世界征服との将来の夢があるため、呼ばれるのは好きでないものの何となくそれを受け入れていたのだが、皆本を狙うライバル、葵も異名があると知って黙ってはいられない。
「……皆本っ!」
くるりと皆本を向いた薫は、歯ぎしりが聞こえそうなほど悔しい顔でこう言った。
「女王と女神と、どっちが上なの!? 白黒つけてくれないと嫌っ!!」
うわー、と内心頭を抱えながら、皆本は恐る恐る問い直す。
「そ、それはつまり、単語の形而上における意味だよな? それならば、め……うわっ! リミッター外すなっ!!」
制裁を加えるためか、腕時計形の超能力リミッターを外そうとした薫を皆本は言葉で制した。
だが、それで止めるようなら薫ではない。
「じゃあ、女王のほうが偉いんだよな?」
そう脅した薫と、そんなことあらへんよなと睨む葵。
どちらと答えても、あるいは両方同じと答えたとしても、制裁が待っているのはほぼ確実だろう。
なんでこんなことになるんだと心で助けを求めながら皆本は、じりじりと後ずさって、そこでぽんと腕を叩かれた。
「何おびえているの? 答えは既に決まっているじゃない」
それは、チルドレン最後の一人、紫穂だった。
まったく、どこに隠れていたことやら。
彼女の接近も、決して忍び足ではなかったはずだが、皆本には全く分からなかった。
いつもの通り、にこにこしている彼女の顔からは、何を考えているか伺い知ることは出来ない。
一触即発だった葵と薫は、紫穂から断言されたことで、そろってどう決まってるのかと尋ねた。
「だって女王って言葉は、諸外国ならともかく、現代日本人が普通に聞いたなら良い印象受けないわよ」
そう言われても、小学生の薫には、意味が分かるはずがない。
それでも言ってしまうあたりが耳年増の紫穂らしいと言えばそうなのだが、薫以上に疑問符いっぱいな葵へも、彼女はこう言った。
「そして葵ちゃん。あなた、眼鏡架けているでしょ。だから女神だと、ちょっと語呂合わせ悪いわよね」
「なんでやねん。素敵な言葉やんか」
反論した葵へ、さらりと紫穂は呟く。
「じゃあ、これ即座に言える? 『眼鏡の女神の野上さん』――はいどうぞ」
野上とは、葵の名字である。
当然、自分の名字を言えるはずだが、反芻しようとした葵は意外な反応を示した。
「眼鏡ののが……じゃなくて、眼鏡のめが……こんなん言えるわけあらへん! だいたいなんやねん、眼鏡のどこが悪いんや!!」
逆ギレした葵を見て、じゃぁあたしの勝ちだなと思った薫は、紫穂の次の言葉を聞いて唖然とした。
「それと薫ちゃん。日本じゃ、王様より帝のほうが偉いの。だから、『女帝』のあたしのほうが皆本さんの支配率高いのよ」
「えぇぇ!? そんなのないじゃん!! あたしのほうが偉いんじゃないの?」
案の定、不平を言った薫以上に、皆本の反応はよろしくない。
「はぁ? なんだよそれ……僕はお前らの物じゃないぞ? だいたい、どこから情報仕入れてくるんだ?」
三人の異名は、当の本人たちへも本当の意味を知られてはならない機密事項である。
しかし、紫穂はあっさりとそれを口にしたばかりか、怪しげな情報まで紛れ込ませているではないか。
更には、いったい何を考えているんだ、との皆本の鋭い目つきを平然と受け流し、紫穂は堂々とこう宣言してしまった。
「女には、色々と秘密があるの。だから、皆本さんも気にしちゃ駄目よ。でも皆本さんになら……そうね、後で二人きりになってから教えてあげるわね」
「なにー!!」
紫穂の狙い通りなのか、皆本恋しで彼女の言葉に反応し、言い争い始めた薫と葵の頭からは、先ほどの論争がすっかり消え去っている。
また、巻き込まれた皆本のほうも、彼女の本意を確かめる余裕が全く残っていない状態となってしまった。
葵の疑問を封じ、薫の突出を押さえ、みなと皆本との親睦度を深める。
結果だけ見ると紫穂の一人勝ちで、端から見れば既にして『女帝』の貫禄が付いているよう感じられるではないか。
だが、彼女には、そんな目論見は毛頭無かった。
ただ彼女は、こう思っているだけなのだ。
こうやって、みんなで楽しく騒ぐ日々がいつまでも続きますように――と。
それが皆本の、内心の願いと知っている紫穂は、「女神のどこが悪いんやー!」との葵の疑問を受け流す。
また、「女王のどこが意味悪いんだ?」との薫の問いかけにも、とぼける。
そうして、困った顔の皆本を微妙にフォローしつつ、恐ろしい未来での異名を笑いに変えるべく、泥沼の言い争いへ嬉々として加わるのだった。
―終―
> 短編 > 酔うほどに、酒
酔うほどに、酒
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
イラスト:サスケ、はっかい。様
「珍しいわよね、一人なんて。あの子たちはどうしたの?」
そう言って、彼女――常磐奈津子は、高級な日本酒を少し口に含むと、向かいに座る皆本光一へウィンクした。
掘りゴタツ形式の居酒屋なので、スカートのまま、気楽に入れたのが嬉しい。
何より、気になる男性を一緒に誘えたことが嬉しく、店へ入ってまだ間もないのに、彼女の頬には朱が差している。
対する皆本光一は、彼女同様にお猪口を口に当ててから、少々困惑気味でこう答えた。
「それへは答えにくいなぁ。それより、君が僕をどうやって見つけたのか、そのほうが不思議なんだけれど?」
彼と彼女は同僚として、等しく日本国内務省にあるバベルにて勤務をしている。
が、皆本は実働部隊、コードネーム『ザ・チルドレン』の指揮官として一線に立つことが多く、片や常磐は受付チーム『ダブルフェイス』の一員として内勤をしているため、基本的にこの二人が一緒に仕事することは無い。
質問を質問で返した皆本の、困惑振りが面白かったのだろう。
常磐は、含み笑いでこう告げる。
「私の超能力が『透視』なのは、皆本さんも特とご存じでしょ。だ・か・ら・よ♪」
彼女の能力は、最高級とはいかないものの、それでもランクで言えば上から二番目の超度五に相当する。
妨害装置を働かせていないならば、比較的離れた場所に居たとしても、すんなり相手を見付けられるだろう。
しかし、それも最初から当てがあってのことだ。
この、人間で出来た砂漠の中にて、ただ一人の人を捜し当てるのは、簡単なことでは無い。
誰にも行き先を告げず、一人で歩いていた皆本を、そんなにあっさりと探し当てることが可能なのだろうか。
お猪口を持ったまま、皆本は、少し首を傾げて言った。
「それじゃ答えになって無いじゃないか」
しかし彼女は、あっさりとそれを受け流す。
「そう? 別にいいじゃない。今は、あの子たちもいないんだから、楽しみましょ」
常磐が言うあの子たちとは、『ザ・チルドレン』の面々である。
まだ十歳であるが、日本随一の超能力を持っており、かつ、皆本と一緒に住んでいる三人の女性のことを、二人とも忘れられるはずが無い。
ことあるごとに皆本の所有権を主張する彼女らがここに居たならば、絶対にこんな会話は出来ないであろう。
以前セッティングされた食事会の際は、邪魔が入って話半端となってしまったし、その後もこういったフリーの立場で話する機会は訪れなかった。
いつも抜け駆けをする常磐の同僚、テレパスの野分ほたるにも幸いにして感づかれなかったからには、この機会に差し向かいでとことんまで語らいたいものだ。
「かんぱーい」
常磐の掛け声につられ、つい杯を合わせてしまった皆本も、口ではまだ納得いかないと言っているが、本音ではかなり飲みたい気分となっていた。
なにせ、今日はチルドレンから『下着を洗濯するから』と言われ、自分の部屋を追い出されてしまっていたからだ。
いくら異性に下着を見られたくないので、と理由を示されても、居候が家主を追い出すなど言語道断。
最終的に同意をしてしまった――せざるを得なかった――が、今後のことを考えると、頭が痛いとしか言えない内容だ。
また、自分の部屋を我が物顔で使っているであろう三人が、はたして綺麗に使っていてくれるか、それがかなり気になるものの、言い出したら現実になりそうで怖くなる。
黙って唇を濡らした皆本を見て、常磐は一瞬だけ頬を膨らませたものの、すぐに笑みを浮かべて言った。
「あ、今、『あの子たちに悪い』とか思ったでしょ。駄目よ、こんな良い女の前でそんなこと思ってちゃ」
いつになくしおらしい態度でそう言った常盤のほうも、実は別なことで心配を抱えていた。
いつ、同僚のほたるが乱入してくるのか、タイムリミットが近いような気がしてならないのだ。
寮に入っている常磐と違い、野分ほたるはマンションにて一人暮らしをしている。
今日も良い男を捜すため別行動を取ってはいるものの、彼女も皆本へ好意を持っていることから、こちらへ合流する可能性は極めて高い。
なので、さっさと既成事実を――
そんな思考が、常磐の杯を進めさせる。
「どんどんいくよーっ! かんぱーい♪」
いつのまにか語らいの場は、一騎打ちといった様相を見せ始めていた。
最初は日本酒を飲んでいたのだが、より弱い酒をとの皆本の願いに伴い、種類はビールへと変更されている。
が、現在横に置かれているビール瓶は、十数本にも達しようとしていた。
ずらりと彼女の脇へ並べられた空き瓶の数を見れば、いかに彼女が酒豪で騒がしいか分かろうと言うものだ。
ほんのりと素肌が赤くなっており、着ていた上着を一枚脱いではいるものの、顔付きを見るに、まだまだ余裕があるらしい。
付き合う皆本は、普段呑めないせいか、既に危険なほど酔っ払っており、そろそろ遠慮したいと思っていたが、それは許さないわと常磐が次のビールを注ぎに掛かる。
「そろそろ……店を出ないか。さすがにこれ以上は」
「えーっ! そろそろ次だなんて、皆本さんのえっちー」
ああ、彼女もかなり酔っ払っていて、自分で何を言っているのか分からないのだろうか?
自分のセーターを抱きしめながら、そんな言葉を発して悶える常磐に、皆本の言葉は都合いいようにしか解釈されない。
思わずこめかみを押さえた皆本を見て、ふと不安になった常磐は、ねぇ、と思いっきり彼へ近付いてその頬を軽くつつく。
「私、明日は非番なのよ。だから、ねぇ……」
常磐の濡れた瞳でそう囁かれ、断れる男など、そうは居ない。
彼女の、外はね気味の黒髪が、さらりと皆本の首筋をなでる。
さっさと会計を済ませて逃げ出せばよかろうに、との危険信号が皆本の脳内で発せられても、彼は動けなかった。
彼女の超絶ミニスカートから伸びる、ストッキングに包まれた綺麗なおみ足。
上着に隠されていてもハッキリと分かる、豊満な双丘。
皆本も健康な男子であるからには、間近となったそれらを、つい見てしまっていたとしても誰が責められよう。
ましてや、今の相手は無防備にもほどがあるのだ。
酒の力よりも破壊力があるそれらを見て、赤面するだけですませて良いものだろうか?
まずい、と皆本の頭と胃腸が訴えている。
出してしまわねば、呑み込まれる――
ごくり、と喉が鳴ったのを合図に、皆本の視界が斜めにかしいだ。
しかし、本当にかしいだのは彼ではなく――彼女のほうであった。
慌てて手を差し伸べ、どうにか常磐の頭を打ち付けさせることなく済ませた皆本は、なんだかなぁ、と溜め息を吐いた。
既に常磐は、答えを待つことなく、すやすやと眠ってしまっている。
「なんか、うらやましいよなぁ」
何が羨ましいのか、あるいは妬ましいのか、今の皆本には分からなかった。
ただ一つ、確実に言えることは……
「もしかして、僕が全額支払いなのか!?」
ハッと気付き、声が大きくなった皆本へ、非難とやっかみの視線が浴びせられる。
それへ、すまない、と慌てて返したものの、彼の内心は先ほど以上に動揺していた。
今日は部屋を出る際に呑むかと思っていたため、いつもよりは財布が重いものの、それでもこの有様へ一人で対処出来るのかは分からない。
だが、寝てしまった常盤から協力いただくことは、まず不可能だろう。
それに、彼女の処遇も考えねばならない。
二人でホテルに行こうものなら、財布へのダメージはともかく、その後の心身へかなり影響があるに違いない。
どこからともなく黒い非難の声が聞こえたような気がして、皆本は急いで周囲を見回した。
まだ……大丈夫。
乱入者を発見出来ず、取りあえずは安心した皆本だったが、この静かな状態は長くないことを、逆にそれで再認識してしまう。
ざわっと鳥肌を立てた彼は、急いで思考を巡らせた。
あれも駄目、これも駄目。
となると、この場合における答えは――
しばし考えたのち、ようやく思い付いた結論へ向かい、皆本は、痛む頭を更に痛めながらも、とあるメールアドレスを呼び出そうと懸命に携帯を操作するのだった。
「すぴょすぴょ……」
そして幸せな顔で眠っていた常盤は、痛む頭を抱えながら朝を迎えた。
「あっ、いたたたっ……」
思わず顔をしかめてしまったが、頭が痛い原因そのものは、よく覚えている。
昨夜、皆本さんと二人きりで呑むという、心沸き立つひとときを過ごしたためだ。
つい、はしゃいでしまい、いつにないほど杯を重ねた結果としては、被害は少ないほうだと言える。
が、しかし、その代価は貰えたのだろうか?
頭だけが痛むことを少々気にしながらも、彼女が自分の体を見ると――
「下着? え、昨夜は妄想? 皆本さんは?」
その体はベッドへ横たわっており、下着姿になってはいるものの、それ以上にはなっていなかった。
思わずパタパタと手を伸ばしたが、誰かが一緒に居た感触は一切無い。
彼女が入っている寮には門限があり、時間までに帰ったはずがないため、部屋の内装に見覚えがないのは分かるのだが……
あそこまでお膳立てし、自分をこんな状態としておきながら、何故に肝心なものへ手を掛けてくれないのか。
昨夜の行動について全部は覚えていないが、夕方、いつも気に掛けていた皆本の姿を目ざとく見付けた常磐は、ルンルン気分で彼に声を掛けたはず。
そして、邪魔が入らないうちにと彼を居酒屋へ連れ込み、二人で大いに語らったはずだった。
昨夜は確かに彼へどんどん呑ませ、これまでに無いほど体を密着させたはずなのに、と僅かな記憶が訴えている。
彼の顔も、アップで思い出せる。
更に言えば、履いていたストッキングも現在身に付いていないのだが、自分で脱いだ記憶は、これもさっぱり無いのだ。
それならば、その後もあったはずなのだが……
不満げな顔付きで彼の姿を探した常磐は、しかし、結局のところ見付けることは出来なかった。
彼の代わりとばかりに、少し離れたテーブルチェアで優雅にコーヒーを飲んでいる女性が視界に入ってきたから。
痛んだ頭に、その名前がぼんやりと浮かぶ。
「ほた……る?」
その、小さな呟きを聞き逃さず、目前の彼女は、コーヒーを片手に、にこやかな笑顔を浮かべて答えた。
「昨夜はお楽しみだったみたいね。彼には、私から謝っておきました」
顔は笑っているが、その口調はずいぶんときつい。
彼女、野分ほたるは、努めて冷静になろうとしているものの、コップの水面にさざなみが出来ているところを見るに、怒り心頭となっているらしい。
「どこがお楽し……つうっつ!」
――この格好を見れば一目瞭然でしょ!
――悔しいけど、そこまでいかなかったじゃない!!
そんな反論を試みようとした常盤だったが、頭痛で言葉を発することが出来ず、彼女は黙ったままこめかみを右手で抑えた。
うっすらと涙を浮かべもしているが、それをさも当然、と野分は言った。
「まったく、夜中に皆本さんからメールが届いた、って期待した私が馬鹿みたいじゃないの。いそいそと画面を見たのに、書いてあったのは『呑みつぶれた常磐を送って欲しい』だなんて、酷い話だと思わない?」
そう、皆本は以前教えられていたほたるのメルアドを、昨夜何とか発掘することに成功したのだった。
男の意地でギリギリながらも居酒屋の精算を済ませた彼だったが、さすがにホテル代は、自分の分で精一杯だったようだ。
呆れ返るほたるへ、常磐はベッドのうえから再度反論を試みようとした。
だが、頭が痛くて思うように声が出ない。
「っぅ……助けてぇ……」
「頭痛薬はあるけど、馬鹿につけるのは持ってないわ。抜け駆けの罪は重いんだからねっ!」
いつも抜け駆けするのは、テレパスのほたるなのにぃ……
そうは思いながらも、痛む頭とチャンスに彼を酔いつぶせなかった無念、更にはライバルへ貸しを作ってしまった残念さとで、常磐奈津子は勝負下着姿のまま涙するのであった。
―終―
> 短編 > 彼女が興味を持ったもの
彼女が興味を持ったもの
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
今日は、日曜日。
僕、皆本光一が勤めているバベルも、僕の部下であり同居人『ザ・チルドレン』の面々が通う小学校も、等しく休みの日。
メンバーのうち、明石薫と野上葵は買い物へ行っている。
何でも、サイコキノである薫の欲しいものが今日発売日らしく、テレポーターの葵がそれに付き合わされたらしい。
僕は、忙しいからと誘いを断った。
どうせ、薫の趣味だから女性用下着のはずだし、僕が行ける場所じゃないだろうからね。
それに、たまにはこうやってお目付け役から外れたって良いじゃないか。
まだ、サイコメトラーの三宮紫穂も残っているんだし――
彼女は、大人しく本を読んでいたりする。
今日に限って一人だけ残ったのが奇妙に感じるけれど、洗濯を邪魔しないでくれるなら、まあ良いか。
そんなことを考えていたら、ねぇ、と突然の呼びかけの後、彼女から質問が出た。
「皆本さん。そういえば賢木さんって、何の天才なの?」
「え?」
僕は、思いがけない名前が出たことで、びっくりした。
だって彼女は、彼を『女たらしで有名だ』と論じていたからだ。
まさか、賢木に興味を持つとは思えなかったのだが、何かあったのだろうか。
この前まで、合コンの件で、睨みつけるほどだったはずなのだけれど……
でも、賢木と紫穂は同じサイコメトリー能力者だし、僕が寝込んでしまった際には協力してくれていた。
また、僕と葵のみが京都へ出張した際、一緒に遊んだって後から聞いている。
喧嘩するよりは仲良くなったほうが良いんだけれど……なんでまた、こんな質問を?
発言意図を図りかね、少々考え込んだ僕を見て、弁解するかのように慌てて紫穂は続けた。
「ほら、いくら同期入局だって言っても、皆本さんは、おさんどんが良く似合う堅物だし、向こうは苦情が絶えない女性の敵だし、何があって遊びにいくような間柄を続けているのかなって、気になったのよ。コメリカ時代からの知り合いってことは聞いているけれど……でも、愛想尽かしてもいいじゃない?」
彼女の言葉には、色々気になる言葉が含まれている。
頭痛がするけれど、取りあえず一番気になるところのみ、僕は、逆に質問を返した。
「おさんどんが似合うって……それは褒めているのか?」
確かに僕は、紫穂を含めチルドレン全員の家政夫みたいなこともしている。
しかしそれは、ここが僕の家で、彼女らが勝手に住み着いている結果だ。
僕は彼女らの上司であり、決して彼女らの世話役では無いはずなんだけど……
不機嫌となった僕を見ても、彼女は顔色を変えなかった。
あまつさえ、こんな答えを返してくる。
「そうよ。何か問題でも?」
僕が上司だと言うことを、どこかに忘れてないか?
少々つっけんどんに、そして正直に彼女が返したため、僕は、二の句が告げられなかった。
考えるだに恐ろしいことなのだが、たぶん、彼女はその意見を変えることは無いだろう。
そうでなければ、いくら小学生とは言え、ほとんどの衣服を異性に洗濯させることはしないだろうから。
いったい、何を考えているのやら。
僕は、はぁ、と溜め息を吐きながら、左のこめかみを押さえた。
……大丈夫、鼓動は正常だし、頭痛もそれほどは無い。
少しの間、沈黙が横たわり、彼女が不安そうな顔を見せたころになって、僕は思い出したかのように、こう言った。
「……さあてね、何で付き合ってるのか、僕だって分からないよ。でも、あいつも、ああ見えて良いやつなんだからね」
――君だって、見た目と内心が違うじゃないか。
そんな言葉を喉の奥に飲み込んで、ちらりと彼女を見ると、予想通りに面白くなさそうな顔をし始めている。
そして紫穂は、案の定文句を言ってきた。
「そうよ、それ! 何で賢木さんが『良いやつ』なわけ? 私のほうが超度高いし、私のほうが、ずっと皆本さんのこ……それはともかく、最初の質問は、どうなったのかしら?」
「最初って?」
ちょっと言いにくいため、少々とぼけた僕の内心を把握しているらしい彼女は、そのサイコメトラー能力を発動させながら、にこやかに言う。
「ちゃんと答えてよね。賢木さんは、何の天才なわけ? そして、何で皆本さんと付き合っているの?」
「『最初だけ』じゃないんじゃ……」
「これで良いの! で、答えは? ちゃんと答えないと私……」
聞いている途中で嫌な予感が背中を走り、僕は慌てて彼女の言葉をさえぎった。
「分かった! 答えるから、全力で透視するのは却下だからな!!」
「あら、そう? それは残念ね」
この、小悪魔め!!
僕は、ささやかな防御さえ許されぬ相手に対し、自分が知る限りの情報を提供した。
「やつは、医者だ。それに、知ってるだろ? あいつの年齢。わずか二十二歳で医者になってるってのは、常識では天才って言われないのか? 日本の医学会では、ありえないはずの年齢なんだけどさ」
「……そう言えば、そうね」
少々考えてから、紫穂が頷く。
しかし、すぐに首をかしげながら、こう質問してくる。
「でも、どうやって医師免許を取ったの? サイコメトラーだと、何か特典があったりするの?」
「いや、何も無いよ。普通に試験を受けて、普通に合格しただけだよ。まあ、サイコメトラーだから、多少は診察に有利かもしれないけれど、それだけで医者になれるはずが無い。あの齢で、必要となる膨大な知識を我が物としてるからこその天才なのさ」
こうやって言うと、他人のことながら、あいつを誇らしく感じる。
性格は少々難ありみ見えるけれど、それでも信じるに足る仲間の一人だってことには変わりは無い。
思わず笑みがこぼれた僕に、紫穂は、更なる質問をしてきた。
「ってことは、飛び級もしてるのかしら?」
「当然してるさ。でなければ、いくらコメリカで免許申請したと言っても、試験そのものが受けられないからね」
「なるほど……」
やつがコメリカへ行った経緯や留学中の態度については、まあ、僕としても色々言いたいことがあるけども、それで医師免許取得が早まったのだから、詳しいことは彼女へは言わないほうが良いんだろうなぁ。
少しばかり内容をはしょったけれど、僕の説明にようやく納得したのか、彼女は、じっと考えてから、ぽつんと言った。
「女性に対する興味が高じて医者になったのね」
「はあ?」
それを聞いた僕は、つい素っ頓狂な声をあげてしまった。
どこがどーなったら、そんな答えになるんでしょうか?
無言の問いに、彼女は、あっさりと言った。
「だって、そうでなければ説明つかないもの。不真面目だし、勉強嫌いみたいだし、とても医者になれるような天才だとは思えないわ。研究熱心な皆本さんとは、全然違うじゃないの」
「いや、あの態度も、やつなりの努力の成果だってば。同じサイコメトラーとして、よっくと考えてみてくれ。いくら医者だからって言われても、見習い時期なら特にだけれど、サイコメトラーに診察してもらうってことが、どのような意味を持つのかを」
「あっ……」
ここに至って、ようやく彼女も気付いたらしい。
確かに診察時、サイコメトラーなら、異常はほとんど見逃さないだろう。
しかし、それ以外、知られたくないことまでも同時に透視されてしまうとしたら、躊躇されてしまう方が多い。
超能力者が多いバベル内で診察しているから、セクハラのほうしか問題として聞こえてこないけれど、そうでなかったら、患者の数は激減しているはずだ。
バベルでも普通人は多いけど、それでも繁盛しているのは、彼の、あの一見へらへらした明るい態度が大きい。
紫穂もそうだけど、高超度のサイコメトラーは、何かしら人格に問題を抱えてしまうケースが多いからね。
いわれの無い中傷や、いじめの対象になったら、屈折するのも当然だろう。
けれど、あいつはそうじゃない。
おちゃらけた態度が、いつから身に着いたものなのかは、僕も知らない。
セクハラが多いのは確かに問題だけれど、でも、それ以上に他人のことを思いやれる人間。
それを感じているからこそ、あの彼を信用出来るんだ。
僕の視線に、今度こそ納得した様子で、紫穂は笑みを返した。
「そうね。私もまだまだみたい。こんなことさえ見抜けないんだから。もっともっと心理面を勉強しないと駄目よね」
「いや、まだそんなことにまで精通しなくていーから」
彼女は、まだ十歳。
小学生のうちから深層心理まで把握するような人間には、出来ればなってほしくないんですが……
男を手玉に取る、悪女になるのは勘弁してください。
そう思う僕の突っ込みを無視し、彼女は大きく頷く。
「と言うことは、私も皆本さんの体に興味を持てば、医者になれるのかしら? ねぇねぇ。手始めに、さっき皆本さんが自分で言った『精通』から見たいなー」
期待でキラキラと目を輝かせた彼女の口から出る、年齢に不釣合いな内容。
僕は、大きな声で怒鳴った。
「何を考えているんだっ!? 君はまだ、ガキじゃないかっ!!」
「あら、だからこそ『勉強』しなければならないんじゃないのよ」
が、いつもなら怒るはずの言葉にも、彼女はあっさりと反論してきた。
逆上したなら付け入る隙もあるんだけれど、いかんせん、邪悪な笑みをたたえたままの紫穂を相手にするのは、かなり危険だ。
にこやかに微笑みながら、彼女は、じりじりと僕に詰め寄ってくる。
「私が残ったのはね、今日、あの日だからなの。だから、大丈夫なのよ」
「な、何が大丈夫なんだ……」
「あら、レディにそれを言わせるつもり?」
くそっ、何で僕が小学生相手にこんなことされなくちゃいけないんだ?
変態少佐ならともかく、ガキに欲情するほど僕は落ちぶれていないはずだっ!!
事態打開のため、情けなくも玄関目指して逃げ出そうとした瞬間、見計らったかのように、僕の頭に何かが降ってくる。
「がっ!!」
そして、痛みで目を回した僕は、身動き出来ない状態で、頬を叩かれ無理やり起こされてしまった。
「皆本、早く起きろよ。疲れて腹減ったんだからさー」
「疲れたのは、ウチのほうやで? 何で下着一枚買うためだけに、十数ヵ所もまわらへんとあかんのや」
どうやら、僕の頭上に降ってきたのは、救いの天使ならぬ、破壊の魔女たちだったらしい。
さっきよりは状況がマシなのかもしれないけれど、それでも改善したとは言いにくいな。
状況を整理し、僕の目眩が治まるまでの間、葵が紫穂へ問いかけている。
「紫穂、体調大丈夫なん? 皆本にやらしーことされてへんかった?」
「もう大丈夫よ。心配してくれてありがとね」
紫穂が、いかにも取り繕った笑顔で答えてるのは、内心不満だったからなのでしょーか?
質問した葵のほうが、笑顔に気圧されてちょっとビビリ気味になってしまっている。
そんな、表面的には微笑ましい光景を横目で見ながら、薫が僕を虐め続ける。
「ほらほら、飯を作らないと、もっと圧力かけるぞー」
通常よりは弱いけど、それでも僕の体にはサイコキネシスによる強い圧力が掛かっている。
何で、いつもこうなるんだ?
僕の窮状を見かねたように、紫穂は薫へ提案した。
「あら、薫ちゃん。皆本さん相手にするのは、手を洗ってからのほうが良いんじゃない? 買い物の成果を確認するためにも、洗面所へ行ったきたらどう?」
そうそう、と葵も同調する。
「せやな。で、その間、皆本は飯を作ると」
「そうだなー。じゃあメシ、よろしくね」
「確定かよっ!?」
開放され、ほっとしたの束の間、僕の叫びは当然無視されてしまった。
しかも、僕の手伝いをしようとする者は、誰も居ない。
雛鳥よろしく、後はご飯と騒ぐだけだ。
窓から外を見ると、既に夕方遅くとなってきたこともあり、仕方なく、僕は台所へ向かった。
まったく、これじゃあ、おさんどんと言われても仕方ないかもなぁ。
と、他の二人が洗面所へ向かった隙に、隠れるようにして紫穂が台所へ素早く入ってきた。
何の用か、と問い掛けもさせず、一方的に手短な言葉を告げる。
「賢木さんが医者になれるなら、私だってなれるよね。そうしたら毎晩、貴方だけの『白衣の天使』になってあげるからね」
そう言って、さっと部屋の向こう側へと去っていく彼女。
先ほどの乱入で、言いたいことが言えなかったからだと思うけど、それがこんな内容だとは……
「まったく、何を考えているのやら」
興味の対象や、話し相手が増えるのは、彼女たちの成長にとって好ましいことだ。
でも、その結果、僕に興味を持ってしまうのは、何というか、本末転倒って感じがする。
僕には、あの予知、薫と僕の対峙シーンが、どうしても忘れられないんだ。
僕が居なければ、あるいは、あれが回避出来るのかも。
そう思うたび、自殺とか蒸発とか、好ましくない単語が脳裏をよぎる。
まったくもって、不健全な発想だな。
料理作りながら、こんなことを考えているようでは、とてもチルドレンを指揮し続けるなんてこと出来やしないだろう。
自分で作ったやつながら、美味そうな匂いを漂わせているそれを運びつつ、僕は大声で呼びかけた。
「ほら、晩飯作ったから、さっさと来いよ」
とたんに、それなりに身だしなみを整えた三人が、ぱたぱたと走ってきてテーブルに着く。
「いただきまーす」
四人で声を合わせての、あいさつ。
以前はこんなこと、僕以外は言わなかったけれど、学校で言わされているから、三人とも自然と言ってくれるようになってきた。
こんな風に、自然に成長してくれれば、それで良いんだよな。
彼女らの成長が嬉しく、つい、僕の顔はほころんでいたらしい。
薫が、僕の顔を見て妙な顔をする。
「何だ、皆本。やけに嬉しそうじゃねーか。あたしたちが居ない間、紫穂と何かあったのか?」
「えっ、そうなん!? 皆本はんのフケツッ!!」
和やかだった空気が、一瞬にして変わる。
「そんなことあるかー!!」
うわー修羅場かよ、と紫穂に助けを求めると、当の紫穂は、いつもの無表情な顔で、さらりと告げた。
「何も無いわよ。ただ、皆本さんの治療を賢木さんに任せると、女たらしまで移っちゃうんじゃないかなとは話してたけど?」
それ、事実と違うって!!
そう言って彼女の発言を正す暇もなく、僕の体が床にめり込む。
「これ以上、女たらしになるなんてズルいぞっ!!」
「皆本はんが、もっとフケツになるなんて嫌やー!」
お、お前ら、食事中なんだぞ?
お仕置きで、ふわふわと空中に浮かんだほこりを手で払いながら、紫穂は続けた。
「大丈夫。そうならないように、彼の治療は、同じサイコメトラーの私が一手に引き受けるから安心してね」
それを聞き、二人もしぶしぶながら矛を収める。
「紫穂なら、まあ、大丈夫かな」
「ちょっと心配やけど、賢木はんよりはマシかも」
賢木、誤解されまくったままだなぁ……
彼に、ほんのちょっと同情しながらも、僕はようやく起き上がる。
見事に椅子が大破したため、中腰で立ちながらの食事再開だ。
この体勢って、明日に響くんだよなぁ。
僕のつらい内心を見透かしたのか、紫穂が慰めの声を発する。
「後でマッサージするから、心配しなくても良いわよ」
とたんに、あたしもやるー、との分かってなさそうな声を発する他の二人。
それを聞き、僕は、何だか分からないけれど寒気を覚えた。
そして、紫穂と葵はともかく、薫のサイコキネシスによるマッサージで大ダメージを受けた僕は賢木の世話になり、『また彼女たちか。お前もロリ好きだなぁ』と揶揄されてしまったのだった。
どちくしょー! そんなこと言われるのなら、金輪際お前の擁護なんかしてやらないからなっ!
今後は、紫穂の診察を受けてやるっ!!
そう思った瞬間、これら一連の出来事は、賢木の評価を落として相対的に自分たちのを良くしようとの、紫穂の悪巧みなのかもしれないと考えてしまった。
そんなことはないはず。
悪巧みを考えたにしては、あの流れは、いきあたりばったりだったように思うえるが……
そうは考えつつも、可能性を完全否定することが出来ず、僕は、病室のベッドで盛大な溜め息を吐いたのだった。
―終―
> 短編 > 嬉し楽しや夏休み(野分ほたるさんver)
嬉し楽しや夏休み(野分ほたるさんver)
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
イラスト:サスケ様
「皆本さん、どこ見てるんですか?」
プールからあがる直前、なにやら視線を感じた野分ほたるは、その視線の持ち主を断定してそう言った。
口調は幾分すねたような怒ったような響きが含まれているものの、頬には朱がさしていたりと、その顔はあくまでにこやかだ。
なにせ見ているだろう人は、野分の恋人候補ナンバーワン、皆本光一その人なのだから。
「えっ? い、いや、どこをって……べつに何も見てないよ?」
突然言われたためか、いささか慌てた風の答え。
それがかえって彼らしく、野分はくすっと笑った。
「隠さなくても大丈夫ですよ。誰も覗いていませんから」
こっそりテレパシー能力を使い、周囲の状況確認は済んでいた。
後は彼の心を確認するだけだが、それを確かめるには勇気がいる。
彼の言葉で、ああ、やっぱり見てくれたんだとの安堵感と、見られて少々恥ずかしいとの複雑な感情が野分の心に浮かぶ。
そして、次第に増していく次のような幸福感。
それにしても、彼を誘えたのは幸運だった――と。
野分は、こんなこともあろうかと用意していた水着を余すことなく視線にさらしながら、再度、こうなった経緯を述懐した。
いつもバベルの受付として働いている野分は、たとえお盆であろうとも、休みを取ることがなかなか難しい。
日々訪問者の監視を続けなければならず、ストレスを感じることもある。
いくら自分が高レベルエスパーだとしても、いや、高レベルエスパー社会人だからこその苦労が多々あるのだ。
不愉快な人が来たときは、求められても能力を使わずに過ごせた学生時代が懐かしく感じられる。
しかし、スケジュールの都合さえつけば、こうやって平日に休みを取ることが出来るのは、社会人ならではだ。
更に言えば、職員専用施設で人目を気にせず優雅に泳ぎを楽しむことが出来たりするのも、良い話である。
それまでは、他人からの不愉快な思考を我慢しなければならなかったのだから。
この少子高齢化時代に良い伴侶を見付けるため、日夜努力している野分にとって、今日の休暇は貴重な時間だった。
何せ、ぴちぴちした肢体を彼へ見せつけられる絶好の機会なのだから!
きゅっと締まったお腹に、すらっと伸びた手足。
安産型とも言われる豊かなヒップと、嫌みかとも称される女性美あふれたバスト。
それらを包むのは、決して派手ではないものの、少々布地が足りない水着。
股間の切れ込みは鋭く、大事なところしか隠していない。
当然ながら、脚線美は産毛処理済だ。
胸も、曲線の下半分しか隠されておらず、ふくらみが大きすぎて下側に出来る悩ましげな谷間が見えてしまっている。
残された後ろ部分も大きく開いており、無防備な肩から背中から丸見えだ。
パッと見、どこにでもある一体型水着と見えながらも、よく見れば誘っているとしか思えないエッチな水着を野分は着ていた。
もちろん、うつむき加減の微笑みで、更に破壊力が増していることも考慮済みである。
時間が無く、海にこそ行けなかったが、職員用に解放されているプールへ彼を誘い、共に来れたのは幸運以外の何物でもない。
同僚ではあるが、他のチームを指揮し、忙しい日々を送っている彼。
頭脳明晰であり、ルックスもまとも。
更に言えば、体型だって身なりだって普通なため、有望株として彼を狙う女性は多い。
なのに、自分一人のため、貴重な夏期休暇を使ってプールで共に過ごしてくれるなど、望んでもありえないほどで、まるで夢ではないかと思えてしまう。
夢でないと実感出来るのは、彼の視線があるから。
ここでもう一押ししておけば、彼の夢に出演することさえ可能かもしれない――
視線を受け、身じろぎの代わりにお尻を悩ましく左右へ振った野分は、しかし、どこかその視線が熱くないことも感じていた。
有り体に言えば、凝視しているとは感じられなかったのである。
女の子にこんなことさせておいて、見ないとは何事かしら?
そう思った野分は、少々残念ながらも、ゆっくり振り返って正面から彼を見た。
彼の顔からはいささか奇妙な感じを受けるが、それは光の反射のせいと思い、もう一度問いかける。
「あの、どこを見ているんですか? 皆本さん? 聞いてます?」
未だプールで浮かんでいる皆本は、彼女の柔らかな詰問を受け、困惑した答えを返した。
「いや、だからどこをって言われても、眼鏡外しているから、ぼんやりとしか見えないんだけど……何か問題でも?」
「!? え、えっと、その、あまり見えないんですか? と言うか、泳ぐためのゴーグルとかは……」
ショックを受けている野分の呟きを、皆本は、不思議そうに聞いていた。
「プールだしね、泳ぐときは眼鏡外すのが普通じゃないのかな? ゴーグルと言われても、バベルのプールだから、無くても差し支えないだろう?」
皆本は、子供時分から勉強に打ち込んでいたせいか、度の強い眼鏡を掛けている。
普段はあまり意識していないため、思いっきりその事実を忘れていたのは、明らかな野分の失策だ。
先ほどの奇妙な感じは眼鏡が無いせいと理解した野分は、なんで気付かなかったのかしら、と肩を落としながら、それでもがっかりを感じさせないような口調で彼へ応じた。
「そ、そうです……よね。眼鏡は外すのが……でも、見えてないと、危険じゃないんですか?」
そんな問いを発した野分の、頭をくらくらさせている様子に気付いていないのか、ゆったりとプール縁へ近付きながら皆本は言う。
「一人じゃないんだし、平気だって。それに、一人で泳ぐのも慣れてるしね」
どこか自嘲気味な響き。
皆本は、頭脳明晰が災いして孤独な子供時代を送っていた。
長期の休みの際はおろか、平日の放課後でさえ、クラスメートから遊びに誘われることなど皆無に等しい。
なので、こうやって女性に泳ぎに誘われても、どう接したらよいか分かってなかったりするのだ。
言葉の意味するところを察し、野分はハッとして、それから彼へ泳ぎ近寄ろうとした。
いますぐ彼を抱きしめたい。
胸の奥が、キュンとうずく。
彼を驚かせないよう、ゆっくりと水に身を浸し、それからすいと泳ごうとした野分だったが、大事な大事な静寂は、突如として振ってきた大声に破られてしまった。
「皆本ぉ! 探したんだぞ!!」
「どこにもおらへんから、局長締め上げてしもーたやんか!」
「私たちに隠れて、黙ってこんなところで裸さらしているなんて、まったく……」
ドボンと三つの水音をたてながら彼の近くへ落下したのは、用意周到にも水着姿となった三人の小悪魔。
突然しがみつかれ溺れそうになった皆本を、能力でふわりと縁へ運びやった三人組『ザ・チルドレン』の面々は、ちらりと野分を見て、それからおもむろに皆本へ向かい騒ぎ立て始めた。
「あたしたちが可愛いからって、もっこりさせちゃセクハラだぞー?」
「う、ウチは見とうないんやからな! で、でも、皆本はんがこんな格好しとるんやからして……」
「傷の手当てなんかで散々見せているじゃないの、何恥ずかしがってるのかしらねぇ」
早口でまくし立てられ、もはや皆本は、呆然とする野分へ意識を向けることなど出来ない状況になってしまっている。
うまく言葉が出てこず、はしたなくも口をぱくぱくさせている野分の頭片隅へ、彼女の耳が、この状況を整理する単語を何とか拾い上げて伝えた。
「学校にも夏休みってものがあるんだから、自分だけ休もうって言ったって、そうはいかないわよ」
確か、チルドレンたちは少し前から小学校に通い始めていて、それで昼間彼の時間に余裕が出来て、でも社会人と違い、学生には長期の夏休みがあって……
一緒にチームを組む常磐さえも出し抜いて、上手く彼を誘ったはずだったが、このような展開になるとは、とても信じられない。
今にも水底に沈みこんでいきそうな絶望感を味わい、野分は叫びたくなった。
『夏休みなんて嬉しくないわっ!』
しかし、言いたくてもそれが彼に聞こえる可能性を考えてしまい、ひとり野分はプールの中でブルーな気分となるのであった。
―終―
> 短編 > 嬉し楽しや夏休み(常磐奈津子さんver)
嬉し楽しや夏休み(常磐奈津子さんver)
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
イラスト:はっかい。様
「あ、いたいたぁ!」
嬉しそうな弾む声。
女性特有の甲高い、しかし柔らかい声が水面に反射してキラキラと輝きながら周囲へ響いていく。
やけに熱い日差しを右手で遮りながら、そう言ってにこやかに目を細めた女性は、名を常磐奈津子といった。
彼女は、日本政府の機関『バベル』にて働く高レベルエスパーの一人にして、チーム『ダブルフェイス』の片割れでもある。
普段の仕事が受付であることから、なかなか昼間に太陽を拝むことは出来ないが、今日は特別。
今日の常磐は、夏期休暇を取ってバベル管理のリゾート地へやってきていたのだから。
真白い砂浜、透き通るような青い海、高い太陽と、それら自然の恵みを存分に堪能する若くて綺麗な女性――
セクハラであろうがなかろうが、とかく絵になること間違いなしの光景である。
しかも、ピチピチした若干二十歳の健康的な素肌は、水着で隠されてはいるものの、ビキニタイプ水着なのでほとんどが露出されていたりする。
腰回りもエロチックだが、特にたゆんたゆんと揺れるスケールオーバー気味な胸部は、水着布地を内側から破裂させる勢いで膨らんでおり、官能的なことこの上ない。
足首までしか水に浸かっていないので、その気であればすぐにでも駆け出していけるのに、彼女はゆっくりと歩いている。
まるで、肢体を見せつけるかのような足取り。
ファッションモデルでも十分に通用するかと見える彼女は、持って生まれた魅力を存分に発揮させようとしているのだが……
「もうっ、何でこっち見てくれないよっ!」
悲しいかな、先ほど着替えのために別れた連れあい男性は、他の場所へ目を向けていた。
「皆本さぁーん! こっちこっち!! もうっ、早く来ないとナンパされちゃうでしょ?」
この場所は、バベル職員のための専用保養地――更に言えば今現在は二人きり――なので、ナンパされることは全くないはずだが、一秒でも早く自分に目を向けて欲しく、彼女はそう叫んで手を振る。
皆本光一は同じバベルの同僚で、常磐の恋人候補ナンバーワンだ。
チームの片割れ、野分ほたるも彼へちょっかい掛けているようだが、この悩殺水着を見れば、彼だって見惚れてくれるに違いないと常磐は思っている。
なにせ、ここの使用規約に違反しないよう『バベル』のロゴ入りとなってはいるものの、この日のために用意した価値ある一品なのだ。
さすがに直接的すぎと思えて白地には出来なかったが、オレンジの水着は自分でも目に眩しく、エッチに感じられ、十分に相手をその気にさせるだろうとの自信がある。
あとは、彼への攻勢を掛けるだけなのだが、期待で胸の先端がハッキリ浮かび上がってしまっているのを自覚しながらの呼び声は、しかし、これも悲しいことに否定的な言葉しかこだまを返さなかった。
「えっ? あっ、す、すまない。ちょっと動けそうにないんだけれど……」
皆本が、こちらを一瞥しただけで謝罪の言葉を送ってよこす。
常磐はそれを聞き、反射的に怒ろうとしたものの、彼の姿を再度よっくと見た途端、肩を落として納得してしまった。
そこには、まるで子供にまとわりつかれたお父さんといった風の彼が居たからだ。
先ほどまでは居なかったはずなのに、いつ来たのだろう。
そして、どこから嗅ぎつけたのだろう?
ねーねぇと、あたかも猫のように彼へじゃれ付く三人組は、言わずとしれたチーム『ザ・チルドレン』の面々であった。
彼が指揮する、日本随一の能力を持ったエスパーチームは、当然のことながら二人と同じくバベル所属であり、また、ここはバベルの保養地なのだから、これも当然のごとく彼女らへも使用許可が出る。
とは言え、邪魔されないよう局長にまで探りを入れた他人の休暇動向に、彼女らがここへ来る計画は入っていなかったはず。
また、この場所を突き止めるにも相当時間が掛かるはずだ。
テレポーターが居るため、その気になればどこへでも素早く移動することは可能だろうが、それにしたって午前中から来れるものなのだろうか?
今日は平日で、しかもまだお昼にさえなってないのだから、三人は学校に居るはずなのにっ!
そんな風に少々不満な顔を堪えながら常磐が思案していると、それを素早く感じ取ったのか、チルドレンの一人、野上葵が彼女へニヤッと笑顔を向ける。
そして、さも当然とばかりに、楽しげな声――常磐にとっては悪魔の囁きに似た声――が発せられた。
「子供にも、夏休みってもんがあるんやで?」
常磐は、そのことを忘れていた自分に愕然となった。
そ、そうだった……
僅か数年前までは、自分もその恩恵を受けていたではないか!
バベルに就職した際、主に受付として働くことになったため、たとえお盆の真っ最中であろうとも休めない体制に、常磐は内心不満を持ったことがある。
しかしその反面、スケジュールを調整さえすれば、このように平日、堂々と休むことが出来ることもあり、バランスは取れるわねと妙に納得したのも事実である。
今日のように、好みの男性と共にこっそりデートを楽しむため夏期休暇を取るのは、別に非常識ではないと思うのだが……
お邪魔虫の児童も夏休みであることに気付かなかったのは、社会人となった弊害なのかもしれない。
ああ、懐かしいかな夏休み、恨めしいかな夏休み!
常磐は、これで今日のお楽しみもこれまでのようにお流れなのね、と嬉しさが波にさらわれていくのを感じるのだった。
―終―
> 短編 > 昼食、職員食堂にて
昼食、職員食堂にて
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「はぁ……」
バベル職員皆本光一の、貴重な昼食時。
彼は、カロリー高めの食事を目前にしながら、何故か溜め息を吐いていた。
目前に置いてあるものが、食べられそうにないほど多量だからでは無い。
それは、ここ最近の動向を思い出して少々憂鬱になってしまったためである。
朝は、同居している三人娘の食事など世話で忙しい。
夜は朝に同じく食事係となっている中、彼女たちが小学校へ通っているこの時間の、更に言えば仕事に関係ない食事時だけが、最近の安らぎ時間となっていたからだ。
どこが楽しいのか皆本自身には分からないが、一緒に食事をと誘ってくる女性は多い。
しかし後日になると、みな一様に青い顔で謝ってくるため、皆本は、もう誘われても自分から断ってしまっていた。
子供時分の経験で、疎外感を味わっている彼にとっては、一人での食事も全く気にならない。
たまに自嘲気味になることはあるが、朝晩のことを考えれば、むしろ偶には一人になりたいと思うようになっても仕方のないところであろう。
ちなみに、今日の昼食は大盛りハンバーグ定食である。
本来なら、栄養バランスを考えて野菜炒め定食といきたいのだが、理不尽な折檻と上司の無理難題に耐えるため、カロリー摂取と体力作りの運動は欠かせないのだ。
高カロリーな食事自体は、全く問題が無い。
ただ、それが自衛のためだとの事実が、何となく彼に厭世観を抱かせてしまう。
「皆本さん、どうかしたの?」
そんな食事にさえ気の乗らない皆本へ不思議そうな声が掛けられたのは、彼が食事に手を付けてから少しした時だった。
声を掛けられること自体は何回もあるが、今ここへ居るはずの無い人間が平然と隣に座るのは問題である。
彼は、貴重なひとときを邪魔されたことで、無意識のうちに少々きつい言葉で答えた。
「僕にだって食事の時間くらいあるさ」
「私にだってあるわよ。だから、ご一緒してもいいわよね」
この、有無を言わさぬ切り返し。
いけしゃあしゃあと言い放ったのは、彼の受け持つエスパーチーム『ザ・チルドレン』のメンバー、三宮紫穂だった。
皆本は、目線の端でちらりと腕時計を見たが、時間はまだ十三時過ぎ。
通常公務員の昼食時間からは若干外れているが、実験の都合で午後に食事時間がずれこんだ皆本に取っては特に問題ない時間帯である。
しかし、学校通いの紫穂がこの時間にバベルへ居ることは、教育上問題となる。
何といっても、今日は平日で、しかも休校日ではないのだ。
ましてや、学校給食がありながら昼食時に食堂へ来るなど、心身共に子供たちの健全な発育を目指す皆本の基本方針へ真っ向から刃向かっているようで、もってのほかとしか言いようがない。
更に言えば、彼女が選んだのも、皆本同様ハンバーグ定食だった。
ここの肉料理は比較的良質の肉を使っているため、野菜が混ざっていても、彼女は何とか食べることが出来る。
さすがに大盛りとまではいかないが、野菜嫌いの彼女がステーキを頼まなかったのは、もしかすると皆本の目を気にしたのかもしれない。
しかし、他のメニューもあるだろうに……
そんな感想が、皆本へほんの少し眉をひそませてしまう。
このように、どれ一つとっても多々文句を言うことが出来る彼女の行動だが、それを口にしてものらりくらりとかわされてしまうことが分かっている彼は、じろりと非難の視線と共に不機嫌そうな一言のみを紫穂へ送った。
「まあ、空いているしね」
どうやら、皆本と同席で、しかも一緒のメニューにしたかった女心は理解出来なかったようだ。
もう、と内心溜め息を吐いた紫穂は、再度皆本へ問い掛けた。
「何を悩んでいるのかなと、そう思ったのよ。いつもより覇気が無いし、その、同じチームとして不安になるじゃないのよ」
「偶には休息したっていいじゃないか」
そうはぐらかした皆本は、なおも問い掛けようとする紫穂へ、逆に質問した。
「君こそ、何でこの時間にバベルに居るんだい? 今はまだ学校の時間だろう」
「べ、別にいいじゃない。その、つまり……皆本さんと同じで息抜きよ」
なんたる言いぐさ。
チームメイトと別行動の事実も、学校をさぼった理由も、ましてや皆本のところへ真っ直ぐ来た理由にも、何も答えていない。
すると、と皆本は思考を巡らす。
「お前、また給食が嫌で逃げ出してきたな。この前、先生から注意されたばかりだっていうのに、まったく……」
抜け出したとなれば、たぶん、今日の昼食はサラダメインだったのではなかろうか。
給食献立表は学校から渡されているが、さすがに毎日のメニューは把握してないし、急な変更もあろう。
野菜嫌いの紫穂なので、分かった時点で色々理由を付け、午前中でこっそり早引けしたのだろうと皆本は推測した。
皆本から散々注意をしているし、小学校の先生からも指導して貰っているが、彼女の嗜好は一向にあらたまらない。
やむを得ないことだが、給食へ使う食材は、費用を抑えるために最高級のものとはいかない。
皆本が作るときはなるべく新鮮なもので割高なものを使うが、味の面で紫穂が給食の野菜に抵抗感を感じるのも何となく理解は出来る。
それに、普通子供は野菜より肉のほうを好むものなのだから。
しかし、彼女のように野菜を食べずに抜け出すとなれば、教育上大きな問題だ。
この食堂は食券を先に購入する仕組みなのだが、事前に皆本へ声を掛けなかったからには、既に支払いは済んでいるのだろう。
外食分のこずかいはあげていないはずなのだが、との皆本の疑惑いっぱいな視線を平然と受け流し、上品に食べ始めた紫穂は、気がつくと既に三分の一を食べ終えていた。
注意を無視され、一瞬むっとした皆本だったが、まあ、これもいつものことか、と半分諦めて自分も箸を使って食べ始めた。
肉料理が多いコメリカへ居たくせに、ナイフとフォークを使わないのは、こだわりでもあるのだろうか。
ハンバーグ程度ならば箸のほうが楽なのかもしれないが、子供である紫穂のほうがナイフの使い方が堂に入っていたりするのは、どことなく奇妙な光景と見えてしまう。
しばし、黙々と食べていた二人だったが、先に食べ終わった紫穂が、ついと立って二人分のお茶を持ってきたのは、まだ皆本へ付き合うためだろう。
食事を終えたら文句言われそうな雰囲気なのに、にこにこしているのは、皆本の食事姿を独占しているからに他ならない。
何の予感を感じたのやら、お小言は言われないと確信めいたものがあるらしい。
超能力使うわよとテーブルの下でこっそり脅しを掛けているのも、きちんと効果が出ているようだ。
その皆本は、少し遅れて食べ終わったあと、ちらりと周囲を見て誰も自分たちに注目している人がいないことを確認すると、おもむろにこう言った。
「さてと、何のおねだりなのかな。わざわざ抜け出して来たってことは、あいつらにも知られたくないことなんだろ?」
給食を抜いたことは決して褒められることではないが、それだけならば、皆本のところへ来なくても良いはず。
むしろ、小言を避ける意味でも、皆本には知られないようにしなければならないはずだ。
なのに紫穂は、当然のようにここへ来て、未だ逃げようとはしない。
まあ、逃げる必要はないかもしれないが、堂々と居続けるのも妙な話である。
何のこと、と少し首をかしげて答えた紫穂は、僅かに微笑んで左手を口に当てた。
「ふーん。皆本さんたら、女の子の秘密を知りたいの? そんな質問するなんて、デリカシーが不足しているじゃないのかしら」
それが答えかぁ?
皆本はあっけに取られた。
いつにも増して凶悪な揶揄。
質問と答えが噛み合ってないのを、当の本人は全く気にせず、にやにやと彼の顔を見ている。
どんな返答を言ってくれるのか、興味津々な、小悪魔の顔――
思わずこめかみを押さえながら、皆本は呟いた。
「あのなぁ。聞いているのはこっちだぞ? はぐらかさずにきちんと答えてくれよな」
しかし、皆本の嘆きを受け流し、紫穂はさも当然と笑う。
「別にいいじゃない。したかったんだから」
「……そーいう問題かよ」
じっと紫穂の顔を見ても、しかられる怯えとか罪悪感とかは全く見あたらない。
むしろ、皆本をからかって楽しんでいる――そんな気がする。
「……女の子との食事は、楽しくなかったの?」
むっとした顔で皆本が黙っていたのため、不安になったのか、不意に紫穂は尋ねた。
僅かにだが、ひそめた眉が、彼女の心配は本気であることを示している。
「いや、そんなことは無いけど……」
「じゃあ、楽しかったのよね?」
畳みかけるような口調に、つい皆本は答えてしまった。
「あぁ。まあ、嫌じゃなかったよ」
とたんに、ほっとした雰囲気が伝わってくる。
「よかった」
何が良かったのだろう?
そんな質問が脳内で浮かんだが、皆本は、それ以上に別なことで思考がいっぱいとなった。
小悪魔の笑み、眉をひそめた心配顔、そして、安堵の微笑み。
先ほどからころころと変わる紫穂の表情が、出会った頃には見られなかった、年相応の女の子のそれであったからだ。
常に冷静沈着を求めるチーム指揮官としては失格かもしれないが、一人の年長者としては、その変化が自分と出会ってからのことだということで嬉しくなったのである。
僅か十歳の少女が、能力のせいで疎外され、無表情・無感動となっていたあの頃。
いつもはチーム全員、総勢四名で居ることが多いため、紫穂にだけ意識を向けることは少ない。
が、無理矢理二人きりとなってしまったことで、皆本は、妙に彼女の変化を意識してしまった。
結果、食べ終わったら本格的な文句を言うはずだったのだが、紫穂の顔を見ているうちに、まあ、こんな日もあるかと苦笑するにとどめざるを得なくなってしまっている。
皆本の顔だけはしかめ面だが、文句を発しないことで、紫穂の表情は反対ににこやかなままだ。
少しして、やれやれ、と照れ隠しに溜め息を吐いた皆本は、自分のトレーを持って立ち上がった。
「もう時間だから、そろそろ出るぞ」
「……うん」
結局、紫穂は何をしに来たのだろう?
そんな疑問はまだあるものの、尋ねても絶対彼女は答えないだろう。
逆におどしを掛けられるのが落ちだ。
なので皆本は、食堂を出る際に学校サボったのをとがめることなく、逆にこう言葉を掛けた。
「薫と葵が来るまで、大人しく保健室にでも居ろよ。賢木には僕から頼むからさ」
バベルの医務室に勤務する賢木は、皆本と仲が良い。
三人娘との関係で、何かとからかわれることが多いものの、色々頼み込む場合には素直に頷いてくれるありがたい存在だ。
紫穂とは仲が悪いとの話も聞いてはいるが、皆本が見たところ、二人の仲はそうは悪くないと思っている。
彼へ、紫穂が具合悪いと言っておけば追い出すことはないだろうし、対外的にも体面が立つだろう。
そこまで思案して皆本は提案したのだが、紫穂は逆に少々面白くなさそうな顔をした。
気を遣ってくれる彼の態度は、素直に嬉しく思う。
しかし、皆本さんと二人で楽しく食事したい、それだけのことが色々と問題行動になってしまう現状を、いささか不満に思ったのだ。
まだ皆本と一緒に居たいのか、紫穂は提案に返答しなかったのだが、それも少しのこと。
言いにくいことでもあるのかなと思った皆本が、さっと手を繋いだため、彼女はようやくであるが、こくんと無言で頷いた。
伝わってくる、暖かな温もり。
態度も言葉も伝えてくれない真剣な思いを、紫穂はこの温もりで感じ取れる。
まだ、食事してもデートとは言えない状況ではあるものの、こうやって既成事実を積み重ねるべく、紫穂はぎゅっと彼と繋いでいる手に力を篭めるのであった。
最初に出会った頃より強く、二度と離さないわと言うかのごとくに。
ちなみにその夜、寝静まったはずのとある部屋から、僅かにこんな話し声が漏れてきていた。
「ところで、今日はどやった? 皆本はん、他の女性と食事してせーへんかった?」
「今日は一人だったわよ。物陰からちょっと観察していたけれど、そろそろ諦めてくれたみたい」
「ちょっかい掛けるの多いからなー。お仕置きしなくても良くなってるのはいいんだけどさ、何かこう、物足りないかも」
「ちょっと。物騒なこと言わないでよ」
「油断は禁物やからな。安心したいんやけど……まだまだ監視は必要なんとちゃうんか?」
「……そうかもね。でも、現場押さえても、お仕置きはやりすぎないほうが賢明かもね。何で分かったのかと皆本さんに不審がられちゃうわ」
「それは大丈夫だって。有無を言わせないようヤっちゃえばいいじゃん。皆本は鍛えてるしさ、もう、何発でもオッケーってやつ?」
「ちょっと、その言い方はちょっと下品じゃないの? ……まあ、でも……」
「ん? 何か心配事でもあるのん?」
「いえ、無いわよ? そんな訳で、今回のチェックも無事終了したし、そろそろ寝ましょう」
「んー、まあ、そー言うならな。寝るとしますか」
「んじゃ、おやすみー」
どうやら昼間の件は、チーム全員の意志によるものであったらしい。
だがしかし、その行為が思惑以上に特定人物をリードさせてしまう事実にみなが気付くのは、もうちょっと時間が経ってからのことであった。
―終―
> 短編 > あるはずのない未来
あるはずのない未来
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
―― the world shouldn't exist.
ありうべかざる未来の話――
日本政府内務省付きバベル職員の皆本光一は、かねてより指名手配されていたエスパー、破壊の女王と称される明石薫の居場所を突き止めていた。
とあるビルの屋上で一人佇む彼女の背後から、慎重に慎重を重ねた上で、そっと皆本は忍び寄っていく。
何せ相手は、日本どころか世界でもトップレベルのサイコキノ。
普通人の彼では、いくら最新型ESPジャマーを装備していても、事前に気付かれたなら全く対抗出来ないからである。
そして、彼女を倒すためにとわざわざ新調された携帯ブラスターの射程範囲内にまで近づいたところで狙いを定めた彼は、いきなり叫んだ。
「動くな、『破壊の女王』!」
あざななど呼びかけず、問答無用で撃っていれば確実に彼女を倒せただろう。
不可解なことに唯一とも思える勝機を逃した彼へ、薫はゆっくりと振り向いて、少し寂しそうに微笑んだ。
「ブラスターでこの距離じゃ、確実にあたしを殺せるよね。皆本がここまでやるなんて、昔のあたしじゃ想像つかなかったな」
「薫……気付いていたんだろ? 昔ならともかく、今のお前なら、僕の接近なんて簡単に察知出来たはずだ。何を考えているんだ!?」
皆本の台詞が示すとおり、彼と薫は昔なじみだった。
以前、薫がまだバベルの特務エスパーチーム『ザ・チルドレン』の一員として活躍していた時、皆本は彼女の上官だったのだ。
当時から日本トップのエスパーだった薫は、能力の性質上、おもに指示の実行役として働いていたのだが、たまに妙な意地を張ることがあった。
高レベルテレパシストでさえ感知難しいほど小さな声を聞き、説明出来ない使命感で行動をおこそうとするのだ。
今から思えば、薫の未来はその時すでに定まっていたのかもしれない。
どこまでもまっすぐな、彼女の気性を変えようと思えなかったからには。
薫は助けに応じ、一緒に悩み、そして、とうとう普通人の皆本から離反する――
避けようとして、結局、避けられなかった予知。
物理学の常識で言えば、何かへチカラを加えるならば、同じ大きさの反作用が必要となる。
今言っても詮方ないことだが、皆本が費やしたチカラは、世界破滅の予知回避には足りていなかったのかもしれない。
以前から予知によってこの光景を見てはいるが、実際の場面となったショックは大きい。
だが、これからのことを変えることは出来る。
そんな決意を胸に秘め、皆本は、彼女の胸に照準を合わせたまま、その真意を問うたのだが、彼女は、絶体絶命だというのに身動き一つせず静かに答えた。
「あざなの通りだよ。破壊っつーか、破滅だけどね」
「そんな答えを聞きたいんじゃない!」
どこで歴史の歯車が狂ったのだろう。
あちこちで起きている超能力者と普通人の戦いは、彼にとって、あってはならないことだった。
予知されていたこととはいえ、それを回避しようとしていた彼は、チカラ及ばずとも平穏が訪れることを信じていた。
彼女も、将来の夢に『世界征服』と書いたことがあるとはいえ、ここまで破滅的な未来を望んでいたとは思えない。
なのに――
今の二人は、まさに予知の通りだ。
促しても口を開こうとしない薫に、皆本は言った。
「知ってるんだろ? 僕がここまでやれる理由。エスパーと普通人の戦争は、絶対に起こしちゃならなかった」
彼の感情が高ぶっていくのが、薫にも分かる。
「なのに、何でお前は戦いに身を投じたんだ!? 僕たちは、仲良くやれてたじゃないかっ!!」
薫と皆本、そして今ここに居ない二人を合わせた四人でバベルの最強チーム『ザ・チルドレン』として仲良くやっていたと信ずる彼は、未だ薫が袂を分かったことを実感出来ていなかった。
彼女がしでかした内容を見聞き、今ここで敵対していても、どうしても憎い相手とは思えない。
憤慨している彼を見た彼女は、やれやれと言った感じで、ぼそっと答えた。
「だって、破滅を望むしかないじゃん。あたしの破滅か世界の破滅か――二者選択しかないなら、せめて勝利を求めて何が悪いの?」
「……まるで、どこぞの魔神のような答えだな」
皮肉なのだろうか?
昔、一緒に読んでいた漫画のような答えだな、と彼は思った。
夢中になって、台詞をそらんじるまでになった、あの漫画。
まさか、ここでそんな答えを聞こうとは、皆本は夢にも思ってなかった。
皆本の苦笑が、彼女にも伝播する。
一瞬、目つきを遠くへ送った彼女は、皆本に視線を戻して言った。
「あたしも、まさかこんな気持ちになるとは全然思ってなかったよ。でも……」
「でも?」
そして言葉をいったん区切った後、一息入れてから、キッと皆本を睨んで叫ぶ。
「だって、あたしを選んでくれなかったじゃない! こんなにもピチピチで可愛い女が求愛してたのに、拒んだ皆本が悪いのっ!!」
「お前……それ、マジだったのかぁ?」
呆れた皆本をじっと見て、気持ちが伝わってなかったことを実感した薫は、ぶわっと涙が溢れそうになり、慌てて下にうずくまりながら、こう続けた。
「恋する乙女が恋に破れた時、世界の破滅だって思うのは当然でしょ。それくらい、皆本だって知ってるじゃん。いくら心を覗かれて抗しきれなかったからって言っても、あたしを受け入れてくれないのは酷いと思うでしょ?」
のの字を床へ書きながら、そう述懐する薫。
本人としては、かなり真剣に皆本へ求愛していたつもりらしい。
しかし当の皆本には、薫からまともに求愛された記憶が、まるで無かった。
あれとかこれとかはあった気がするけど……
昔のことを思い出しながら皆本は、いじけている薫へ、恐る恐る尋ねた。
「お前の言う求愛って、『前世から愛してるぜー!』とか『あたしゃぁもう!』とか言いながら全力でタックルしてきたり、些細な失言でも僕を壁に叩きつけたりして、毎日のように怪我を負わせていたことか?」
「……好きだったんだから、いいじゃん。別に」
どうやら彼女は、それが愛している相手への行動だと信じていたらしい。
母親や姉、学校での級友、バベルでの噂話、などなど――今に至るまで、恋愛講義を受ける回数は多かったはずだ。
確か、何かと引っ掻き回してくれる蕾見管理官の直接指導もあったよう、皆本は記憶している。
なのに、それなのに、彼女は未だ小学生の恋愛理論から一歩も進んでいなかったのだろうか?
あっちゃー、と頭を抱えた皆本は、思わず言ってしまった。
「それで世界を巻き込むのかよ……洒落にならんだろが」
そんな、小さくぼそっと言った事柄を、薫は耳聡く聞きつけて、下を向きながら答える。
「世界なんて、皆本抜きじゃ意味ないんだって。だから壊そうとしたんだけど……」
「いや。そんなんで壊されるほうの身にもなってほしいんだが」
皆本の困惑した突っ込みを無視し、彼女は、いきなり顔を上げると大声で尋ねた。
「でも、こうやって皆本が来てくれたからには、あたしにも愛が残ってるって、そう信じていいんだよね?」
そして、この展開は何、と理解しがたい様子の皆本へ、素早く涙を拭きながらこうも言う。
「あたしだってさ、ここまでやらなきゃ駄目だったなんて、思ってなかったんだからね。こんな……」
「こんな?」
「『ツンデレの極意』なんてさ!」
思わずのけぞる皆本と、恥ずかしげにタックルかます薫。
昔と違うのは、力が手加減されていて、よろめきながらもきちんと皆本が薫を抱きしめられたことか。
拭いたはずの涙が彼の胸元を濡らしていく。
相方に怒られるよなーとは思いつつ、しかし拒絶したら世界がどうなるか分からないとも思い、どーすりゃいいんだよと皆本は困惑しながら取りあえず薫の髪の毛を撫で続け、薫もそれを嬉しく感じていた。
爽やかな風も、ビルの屋上をそっと撫でていく。
それにもかかわらず皆本の全身には、冷たい汗が滝のように流れ落ちていくのだった。
そして数年後――
このように紆余曲折を経て交友を取り戻した彼らは、その後、他の人たちとも力を合わせて事態収拾に尽力し、新しい世界の法律で、あるはずのない未来を堂々と掴んでいた。
「いやー、世界はあたしたちのために、っていい言葉だよなー」
「せやなー。お金も使い放題だし、皆本はんも手に入ったし、心地えーわぁ」
「後から割り込んできて、何を言うの、二人とも。そんなこと言ってると、全力で透視しちゃうわよ? 光一さんだって困っているんだからね」
「えー、それは勘弁。あたしが全部見せていいのは、皆本だけなのにー」
言い合いしながらも昔のように仲良く笑う彼女たちの後ろで、ぼそっと誰かが呟く。
「……僕はやっぱり世話係から抜け出られないんでしょうか……」
一人忙しく自分の子供たちをあやしながら、そんな溜息を吐く、幸せと言う名の牢獄に繋がれた人物。
その彼は、予知された未来より今のほうが世界にとってはマシなはずだと自分に言い聞かせ、そっと天を仰いで涙するのだった。
―終―
> 短編 > お腹痛いの
お腹痛いの
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
登校日にもかかわらず珍しく遅く起きた三宮紫穂は、お腹を押さえながら現在保護者役を務める皆本光一にこう言った。
「今日は休ませて貰うわね……」
何でも、鈍い痛みで調子が悪いらしい。
「食べかけのチョコが悪くなったんとちゃうんか?」
紫穂はいつもお菓子を食べているため、それで食あたりを起こしたのではないかと、彼女と同じく皆本の同居人である野上葵からそう揶揄された彼女は、しかし弱々しく首を振った。
「違うんだけど……ちょっと、ね」
「じゃあ、原因は何なの? 紫穂なら自分に能力使えるじゃんか。ぱぱっと診断して皆本に薬買ってきて貰えば、学校に行けるようにならないかな?」
そう言ったのは、これも同居人の明石薫だった。
紫穂は高レベルサイコメトラーなため、能力を使えば知識の範囲内での診断が可能である。
そのため、そう努めて明るく薫は言ったのだが、口調は心配そうな、少し遠慮がちなものになっていた。
彼女たち三人は日本国内務省バベルに勤めるエスパーであると同時に、まだ十歳で小学校にいかねばならない年頃だ。
最近になって行き始めた今の小学校には少しずつ馴染み始めているとは言え、まだまだ三人のみで行動することも多く、誰か一人でも欠けると不安になるようである。
いつも元気いっぱいでわがままの多い薫だが、何とかしてくれよー、と皆本を見上げる目つきは真剣そのものだ。
チームメイトに対する気遣いは忘れていないようだ、と三人の健全な発育を願う皆本は嬉しく思うと同時に、困惑も覚えた。
「僕を見つめたって、医者へ連れていくことしか出来ないぞ?」
研究者としてこのバベルに入局し、紆余曲折を経てこの三人、特務エスパーチーム『ザ・チルドレン』の上司となった皆本であるが、彼はエスパーに対する特別な能力を何も持ってはいない。
彼と出会うまでことごとく上司を叩きつぶしてきたチルドレンと付き合っていられること、それ自体が特殊能力だと言うものも居るが、だからと言って病人に対して彼が出来ることは何も無いのだ。
仕方なく、すまんな、と皆本は薫へ言ってから、紫穂へ向かって言葉を掛ける。
「じゃあ、これから医者へ連れてくから、取りあえずパジャマだけでも着替えてくれるか」
紫穂が今着ているパジャマは、子供用ではあるが、それでも外へ出かけられる類のものでは無い。
だが紫穂は、それへ弱々しく首を振った。
「行かなくても大丈夫……よ」
「それは、君の自己診断だけだろ? 薫、葵。悪いけど、紫穂が外へ出られるよう着替えを手伝ってやってくれないかな」
妙に病院へ行きたがらない紫穂の態度を、皆本は怪訝に思ったが、彼女が自分で言わないことを推理しても意味がない。
まだ子供だとは思うが、成長しつつある女性を男性である皆本が無理に着替えさせるわけにもいかず、同じ女性である薫らの手を皆本は借りようとしたのだが、それへも紫穂は抵抗した。
「部屋で休んでいるから、安心して」
やんわりとだが、がんとして拒否した紫穂を見て三人は眉をひそめ顔を見合わせたが、皆本が「まあ、仕方ないか。そのかわり、大人しく寝ているんだぞ」と最終的な判断をくだし、紫穂が頷いたことで、取りあえず残りの二人も納得した。
「ほらほら、そろそろ出ないと遅刻だぞ」
時計を見た皆本から声を掛けられ、慌てて用意して出掛ける。
「紫穂、養生してな」
「皆本に襲われんなよ」
心配そうに二度、三度と振り返ってから駆け出していった葵と薫を見送る紫穂はお腹を押さえたままだ。
「……痛むのか? 病院いったほうが」
しかし、皆本がそう言っても彼女は首を振るだけだった。
「大丈夫。それほど酷くはない……から」
返答とは裏腹に、紫穂は少し顔をしかめているため、その言葉をそのまま信用することは皆本には出来ない。
だが、これ以上言葉での説得は無理かとも思い、彼は紫穂の体をいきなり抱え上げた。
「きゃっ! み、皆本さん、ちょっとぉ」
「病人が何いってるんだ。自分で大人しく休んでいるって言っただろ?」
皆本にそうたしなめられ、紫穂は黙った。
何と言っても、具合が悪いと言っているのは自分であり、更には、大人しく寝ているわと言ったのも自分なのである。
つまり、自業自得なのだが、予期せぬなりゆきでこうなったことを、紫穂は後悔していなかった。
むろん、するはずもなかろうが――反論しない代わりとして、皆本の首筋へしっかりとしがみつくことにしたのだから。
「まったく、手間が掛かるなぁ」
そんな愚痴を呟かれても、紫穂は気にしない。
少し恥ずかしそうな、でも嬉しそうに顔を赤らめながらも黙っているのは、少しでもこの時間を楽しもうとの腹づもりなのだろう。
紫穂は、皆本へ好意を抱いている。
怪物的能力を秘めた自分を、分け隔て無く一人の人間として扱ってくれるからだ。
現在十歳な彼女を、まだ子供として扱うのは今のところ仕方ないが、いずれこの状態から一歩進むときが来るだろうと、そう彼女は信じている。
なので、今は彼のなすがままになり、自分のベッドへ大人しく横たわった。
「本当に病院いかなくて良いのか?」
自分では何も出来ないが、と不安そうに彼女の顔をのぞき込んだ皆本は、ふいに何かを思い付いてこう言った。
「薬は常備してないけど……そうだ、ちょっとだけ待ってくれ」
そして、紫穂の答えを待たずに出ていく。
紫穂は、嬉しいやら恥ずかしいやらで、一人顔を赤らめた。
実は、原因を分かっていたりするからだ。
ただ、それを言うのが恥ずかしく、あいまいな物言いしかしていなかったために皆本へ過剰な心配を掛けさせてしまっているのが、ちょっとだけ心苦しい。
でも、こうやって彼女一人だけを診ようとする皆本の姿は、嬉しさで紫穂の心を満たしてしまい、それ以上、彼女からは言い出せないのだ。
「さてと、まだ子供には早いとは思うけど、薬らしいのは、これしかないんだけど……なぁ」
にやにやしていた紫穂の顔を引き締めなおしたのは、少しして戻ってきた、そんな皆本の一言だった。
今の顔見た? と恨めしげな視線を送ったものの、当の皆本は意味が分からず困惑する。
「具合悪化したのか? やっぱり病院いった方が……」
「あ? え、えっと、何でもないわ。それより、何を持ってきたの?」
どうやら、先ほどの顔は見られなかったらしい。
ドアノックくらいしてくれればいいのに、と面白くなく思いつつも、安堵感もあって、内心を誤魔化すため紫穂は皆本の手にある物体へ目線を移した。
お盆に載った、湯気の出ている耐熱ガラスコップ。
中の若干濁り気味の液体からは、かすかにアルコール臭も漂ってくる。
子供にはまだ早いけどな、と悪気はないだろうけれども紫穂をむっとさせてから皆本は、そっとコップを差し出した。
「これは、いわゆる卵酒だよ。体暖かくしていれば、少しはましだと思うんだ」
「えっと……子供に出しても良いの? 法令違反じゃないのかしら」
そう返した紫穂の言い分は、通常ならもっともなものである。
普段、三人を子供だと言い張る皆本が、まさか大人向けの飲み物を持ってくるとは思えなかったからだ。
それへ皆本は、肩をすくめて答えた。
「仕方ないだろ、僕にはこれしか用意出来なかったんだから。アルコールは一応飛ばしたけれど、効果薄くなるかもしれないんで全部飛ばしてないし……キミが大人しく病院行ってくれればいいんだけど……」
小学生にアルコールを勧めるのはかなり問題だが、今現在、薬らしいものはこれしか用意出来ない。
かと言って、医師の診察受けずに薬だけ買いに行くわけにもいかないだろう。
皆本の顔は心配で曇っているが、内心苦笑しているのは明らかだ。
それでも彼女を怒鳴りつけたりせず、また、病院へ行くよう強硬手段取ることもせず、こうやって出来る範囲で彼女の世話を焼いてくれるのだから、本当にありがたいことだと紫穂は思った。
だから、それ以上は何も言わず、皆本の手から受け取った卵酒を彼女は何回かに分けてこくんと飲み干していった。
電子レンジで温めたのだろうか、いくぶん湯気に含まれるアルコールが鼻につく。
かあっと胃腸が焼けていき、すぐに、ほうっと出る息もにおうようになる。
自分では見えないが、たぶん、顔も赤くなっていることだろう。
飛ばしたとは言っていたが、それでも残っていたアルコールは紫穂にとって刺激的だったようだ。
少し呂律が回らない状態となったものの、紫穂は素直に礼を言った。
「ありがとう、皆本、さん。ちょっと、暖まった、みたい」
言うこと聞いてくれたのでほっとしたのか、皆本は、彼女の頭に手を置いて、こう囁く。
「礼なんていいさ。それより、早く良くなってくれよな」
「……うん」
そして、横たわった紫穂に、そっと皆本は布団を掛けた。
彼女が高レベルサイコメトラーでも、彼はそれを苦にしない。
心を読まれても、暴力を受けても、意図せぬ場所へテレポートさせられても、結局最後にはこうやって心配してくれる――
その優しさがどこから来ているのか、紫穂は知らないし、これからも知ることはないだろう。
彼女にだって、読めないことはあるのだ。
でも、それで良い、とも紫穂は思う。
たとえ彼女をガキ呼ばわりしても、それ相応な時期が来れば、きっと彼だって……
そこまでを考えたところで、不意に彼女の下腹部に異変が起こった。
今良いところなのに、と思いつつ、紫穂は我慢は危険だと判断し、起きることにした。
「あの、皆本さん……ちょっと、ごめんなさい」
「ん? 何だい」
何も疑っていない皆本から見つめられ、少し恥ずかしくはあるが、紫穂は小さく言った。
「お花つみに行かせて……」
一瞬、何のことか分からず皆本は顔をしかめたが、すぐにあぁ、と頷くと、紫穂の手を取って立たせてやる。
彼女も、相当恥ずかしいのだろう。
アルコールと相まって、かなり顔を赤くしているが、すぐに生理的欲求をはき出すべく、トイレへ向かい小走りに部屋を出て行った。
「気分悪くなったのかなぁ……やっぱり、ガキにアルコールはまずかったよなぁ」
頭を掻いて反省している皆本のところへ、紫穂はさほど時間掛けずに戻ってきた。
すっきり晴れやかと言った風の顔を見て、良かったと思う反面、すまなさで彼は謝った。
「卵酒飲ませて、すまなかったな。気分悪くなったんだろう?」
しかし紫穂は、首を振った。
「いえ、そうじゃないの。そうじゃなくて、その、つまり……だったの」
「は?」
「だから、その……便秘で調子悪かったの……」
なんたることだろう。
紫穂は、世間一般で言う病気ではなかったのだ。
確かに彼女がそうならば、病院拒否も頷ける。
先の水分で暖められたお腹が調子を取り戻したのだろうとも思う。
だが、それならばそうと、最初から言ってくれれば良いではないか。
そう皆本が考えたのを、彼女は見通したらしい。
ギロリと睨んで、こう怒鳴る。
「乙女にこんなこと言わせないでっ!」
そして、皆本の背を押して、部屋から閉め出してしまった。
「何が恥ずかしいんだ?」
体調不良なら、きちんと申告して対処すれば良いではないか。
紫穂の不満がどこから来るのか納得いかないものの、部屋を出された皆本は、独り事態の原因を推理した。
「……ああ、つまり、そういうことでか」
そして出た結論は、紫穂は野菜が好きでないため、繊維不足で便秘になったのだろう、と言うことだった。
皆本は手をかえ品をかえ指導しているが、彼女の嗜好は改まらない。
たぶん、それを指摘されるのが嫌だったのではないのだろうか。
そう考えれば、取りあえず説明は付く。
なので皆本は、それ以上詮索せず、安心の旨、職場へ電話をした。
「……ええ、紫穂はもう大丈夫です。僕も少ししたら出勤しますので」
紫穂は、まだ部屋から出てこない。
一応は調子崩していたのだから、また寝ているのかもしれないが、スッキリした今なら食べ損ねた朝食を口に出来るだろう。
そう思い、声を掛けてはみたものの、やはり紫穂が出てくる様子は無かった。
何が彼女の癪に障ったのか、さっぱり分からない皆本は、彼女の返事を得られないまま出かけることにする。
「二人が帰ってくるまでには元気になっててくれよ」
薫も葵も、学校終わったら心配で即座に帰ってくることだろう。
どう言い訳するのか彼には想像付かなかったが、まあ大丈夫だよな、とも同時に思う。
彼女の食欲をそそるよう肉類多目の食事を用意した後、いらぬ心配はご無用とばかりに出掛けた彼の背中を、当の紫穂は窓からじっと見つめていた。
「もう、鈍感なんだから……」
今は彼へ届かない、その呟き。
彼が彼女を、彼女たちを子供扱いしているうちは、今回なぜ彼女が隠し事としたかったかは、永久に分からないであろう。
彼女の恥じらいは――恋のため。
彼の鈍感さは――家族愛のゆえ。
二つの思いが交わる日は、今はまだ、誰も知りえないのだった。
そして、彼女の思いをまったく気付かない皆本が今夜も無事帰宅すると、案の定、三人の笑い声が聞こえてきた。
「あ。皆本、おかえりー」
最初にドアの方を向いていた薫がそう声を掛けると、他の二人も次々と声を出す。
「おかえり。紫穂も元気になったでー」
「……おかえりなさい。ええと、うん、調子は悪くないわ」
紫穂のは、奥歯に物が挟まったような言い方だが、それも原因からすれば仕方ないことだろう。
ぴくっと眉だけ動かして、苦笑の代わりとした皆本は、結局、こう言った。
「元気になってなによりだな。じゃあ、ご飯も美味しく食べられるよな?」
「えっ?」
意味深な、その言葉。
二人には分からないよう、しかし有無を言わせぬ言い方に、紫穂はうろたえた。
ここで反論すれば、二人に心配掛けさせてしまう。
だが頷けば、確実に食生活は野菜多めと改悪されてしまうことだろう。
うらめしい顔となった紫穂は口を噤んだが、険悪な雰囲気となる前に、ふと思い付いて葵が言葉を発した。
「そういえば、薬は、何を飲んだん? 原因は何やったのん?」
「皆本、薬置いてないんだもんなー。まさか、口移しでとか……何であたしにやらせないんだー!?」
葵の疑問はともかく、薫の叫びはいささかお門違いだろう。
「お前は百合かっての」
さらりと突っ込みをかわした後、皆本は卵酒と言おうとした。
だが、その前に、紫穂はこれ幸いと横から口を出した。
「皆本さんから、良質のタンパク質をたっぷり飲ませて貰ったの。とても美味しかったわ」
「な、なんやって?」
「皆本から、タンパク質……あれのことか? そうか、そうなのかぁ!? あたしより先にぃ?」
何て誤解を招く言い方だとの注意も間に合わず、逆ギレした薫が皆本の顎を右拳で打ち抜いていく。
盛大に散った血は、果たして意味があるのだろうか。
何でこうなるのか分からない葵の前へ、ゆっくりと皆本が崩れ落ちていく。
「紫穂、タンパク質ってなに……いや、何でもあらへん」
この状況を招いた原因をとがめようとするも、彼女の顔が、いつもよりつややかな気がして、葵は言葉を飲み込んだ。
今、薫が思い付いたことが事実なら――
まさか、と思った内容はあるが、サイコメトラーの紫穂へ対して情報戦は仕掛けられない。
今後、もう一方の相手である皆本へ聞こうとしても、こうなってしまった以上、そちらからもきちんとした答えは返ってこないだろうことさえ簡単に想像が付き、その代わりとして彼女は盛大に溜め息を吐いた。
「薫、もちっと手加減したらどや? 傷もんになったら、困るのはあんたやでぇ」
「それもそーだな」
まだまだお仕置き足りないと、少し不満げながらも手を離した薫は、こう宣言した。
「あたしたちの健康管理も仕事なんだぞ。手ぇ抜いたら許さないからなっ! それと……」
そして、一息ついてからの、大きな叫び。
「紫穂に手ぇ出すんなら何であたしを先にしねぇんだっ!!」
女のプライドを傷つけられ、そう言って皆本を非難する薫を、誰が責められるだろう。
少なくとも二人の誤解が解けるのは、しばらく先になりそうだ。
そっちは追求せんとなー、と葵も薫と一緒に皆本をなじる。
こちらも誤解したままなのは、一目瞭然だ。
ああ、皆本と薫、そして葵の誤解と鮮血に彩られた夜が更けていく。
ただ一人騒ぎに加わらない紫穂はと言うと、照れくささで顔を赤くしながらも、うやむやに出来た安堵とすまなさ、それに恥ずかしさとが入り交じり、小さく笑って誤魔化しながらそれを止めようとはしないのだった。
みなが健康でありますように――合掌。
―終―
> 短編 > 洗濯の選択
洗濯の選択
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
「ところで、何で一時的にせよ、僕が部屋を追い出されなければならないんだ?」
部屋の持ち主である皆本光一は、そう言って盛大に顔をしかめた。
目の前には、さも当然と言った風の三人の少女。
おのおのの手には、中の見えない不透明なビニール袋が握られている。
何が入っているかは分からないが、同居人である皆本へさえも見せたくないものなのだろう。
後ろ手に隠しながら、目前の一人、野上葵が何でこんなことも分からないのかと告げる。
「当然やないか。見られとーないからに決まっとるやろ」
言いながら自分の眼鏡を押さえているのは、呆れている証拠だ。
「だいたい、勝手に人のもんへ手ぇつけるなんて、人権侵害も甚だしーと違うん?」
「それは誤解だろ。だいたい、君たちはほとんど家事をしないじゃないか」
皆本の反論にも、葵は怯まない。
「だから勝手に他人の下着を洗濯してもかまへんってか!?」
葵が憤慨しているのは、先日、彼女が実家へ帰ろうとした際、使用済み下着を部屋へ置き忘れてしまったのだが、それを即座に皆本が洗濯してしまったためである。
皆本としては、部屋の主として、洗濯物があれば洗うのは当然のことだったし、それが居候と化している少女たちのものであったとしても同じことだった。
まだまだ子供の持ち物だから、別段気にせずおこなったのだが、本人はかなりショックを受けたらしい。
同じく同居している三宮紫穂、並びに明石薫は抜かりなく全て持ち帰ったのだが、こともあろうに普段常識人を自称する葵だけが忘れ物をしたこともあって、葵はかなり神経質になっている。
だから今回、三人だけで洗濯をするから外に出て行けと葵は言ったのだが、皆本としても、その主張に一部理解は示せるものの、基本部分に納得しがたいものがあった。
たとえ以前、なりゆきで敵側少女の服を全て洗い、女性に見境無しだとして制裁を受けていても、同居する人間から洗濯のたび部屋を追い出されてはたまったものではないと思うからだ。
普段、調理も掃除も、そして大部分の洗濯さえも彼がやっているのだから、今更なにを言うのだろうか。
今回圧力に負け、葵の主張通りに出て行ったとしよう。
すると今後、必要度合いが拡大解釈されてしまう恐れが拭えない。
将来的にどちらが部屋の主か分からなってしまう可能性を脳裏に浮かべた皆本は、断念させるため、あえてこう言った。
「洗濯の間って言われても、普通の服は全部僕に押しつけてるんじゃなかったっけか?」
小学校通学時のスカートやブラウスは、みな皆本が洗濯しており、誰もが、それを特段気にしたことはない。
が、しかし、彼女には胸部の成長がほとんど見られないため、その発言を『普段着姿だって女性らしくない。ましてや下着を見たって、どうってことない』と言われたよう感じ取り、葵は怒鳴った。
「何ぃ洗濯板だぁ!? 乙女の純情を傷つけるんは、最低な行為やでっ!」
「な、なんでそんな反論に!?」
こうなったら、もうどうにも止まらない。
少々うろたえ気味の皆本が何か言うたびに、彼女が逆上の度合いを高めていく感じがする。
いわゆる悪循環だ。
しばらくはもごもごと合間合間に反論を試みていた皆本だったが、葵の口が止まらないため、とうとう説得を諦め、しばらく一人で出歩くのも悪くないかと思い始めてしまった。
たまには外食だって悪くないかもと考え、同僚の賢木から教えられたいくつかの店のうち、安くてそれなりに美味いところを脳内でピックアップしてみる。
すると、それらの思考が嫌みに感じられたのか、葵はまたまた文句を言った。
「何か言いたげやな。隠し事すると、ためにならへんでぇ」
「……何でそーなるんだよ。君らが言ってるのは、洗濯でここを占拠してる間、出ていけって話だろ? だったらその間、外で僕が何したって構わないじゃないか」
それを聞いて、眼鏡の奥から更なる鋭い眼光を飛ばし始めた葵をなだめるかのように、右側へ立っていた紫穂が、まぁまぁと言いながら口を挟んだ。
「皆本さんも色々あるんだから、気にしてたら洗濯終わらないわよ。さっさと始めましょ。下手すると夜中まで掛かるんだから」
「へ? 紫穂、何でやねん」
葵がきょとんとするのも無理はない。
数日分の汚れ物のみで、しかも面積が少ないものばかりなのだから、せいぜい二時間もあれば洗濯し終えるだろう。
そう疑問を呈した葵へ、にこにこと笑いながら紫穂は答えた。
「だって、洗濯終わっても皆本さん入らせないようにしないと意味無いじゃないのよ」
「だから、何が問題なんやねん。皆本はんが居なければ、とっとと終わらせるだけやろ?」
どうやら、言い出しっぺの葵には、問題点が全く見えてないようだ。
勉強は一番のはずが、怒りが思考能力を鈍らせているのだろうか?
それで紫穂は、私は問題ないんだけどね、と言いながら問題点を指摘する。
「だって、見られてはまずいんでしょ? だったら、洗濯する間だけでなく、乾かして畳み終えるまでじゃないと同じことじゃない」
「あっ! せやな……うちとしたことが、こんなことも分からへんとは」
今更ながらに気付いたのか、葵は恥ずかしげに口を押さえた。
最近になり、妙に下着類を見られるのが恥ずかしいと言い始めた葵であったが、そこまでは考えが及んでいなかったらしい。
何せ、彼女たちはまだ十歳。
そろそろ色気づいてくる年頃とは言え、最近まで学校へも行っておらず異性との交流経験が完璧に不足している彼女らが、そんなところまで考慮するはずもなかろう。
葵へ忠告した紫穂が、それを気付いていて今まで言わなかった理由は、皆本には全く分からない。
以前、三人の入っている風呂へ引きずり込まれた同僚、柏木一尉の話によれば、裸でさえ『皆本さんなら見られても全く問題ないわ』と言っていたそうだが、はてさて、実際のところどうなのだろうか。
自分は構わないと言いながらも、葵に同調して皆本を追い出そうとしているのだから、何を考えているのか全く理解しがたい。
「と言うことで、皆本さんよろしくね」
さわやかな笑顔でそう言ってのけた紫穂は、同意確認するかのように顔をもう一人のチームメイト、明石薫へ向けた。
いつもは先頭に立って騒ぎ立てる薫なのだが、珍しくもこれまで何かを考えこんでいたようだ。
閉ざしていた口を開き、そうだよなー、と短く答えた彼女は、にまっと意地悪な笑みを浮かべながら追い打ちを掛ける。
「じゃあ、室内に干しても構わないよな。そうそう、皆本の部屋も使ってやろうか? 取り込み忘れとか期待してもいいぞ」
げへへと下品な笑い声をあげながらの提案は、かなり困ったものである。
提案内容もさることながら、薫の趣味は、とかく親父くさいのだ。
収集している下着も、年に似合わない、見た目重視で高価なものばかり。
また、自分が他メンバーのパンチラを見たいからとの、ただそれだけの理由で制服にミニスカートを採用させるやつなのだ。
皆本が困惑した顔となっているのを見て楽しんでいるみたいなのも頭が痛いが、たぶん薫の本音は、皆本が居ない間に他の二人の下着を堂々と見る機会を得たいのだろうとしか思えない。
三者三様に手間が掛かるメンバーだが、皆本に対してだけは一致団結することが多い――順位争いも多いが――ため、まとまったときの対応にはかなり苦慮させられる。
全員から追い出しに掛かられ、これで今日は外泊確定か、と溜め息を吐いた皆本は、にやついている三人を前にし、どうせ聞いちゃくれないだろうがと思いつつも注意点をあげてみた。
「分かったから、明日、僕が帰ってくるまでに全部終えててくれよ。それと、その間食事を作ってやれないから、それは自分らで考えること。材料は冷蔵庫にあるやつを使って良いからな。あと、学校へ遅刻しないように。それから……」
これが追い出される人間の態度だろうか?
出ていく寸前になってこまごまと言い始めた皆本を、三人は溜め息顔で見た。
彼も、冷ややかな視線に気付き、慌てて締めくくりに入る。
「と言うわけで、戸締まりには気を付けるよーにっ!!」
バタンとドアを閉めたあと、本当に外泊となってしまったなぁ、と苦い顔になった皆本は、そのまま階段まで行って、一度だけ振り返って我が家の入り口を見なおした。
「……あいつらの家じゃ無いんだけどなぁ」
つい、愚痴も出てしまったが、それも仕方ないだろう。
既に彼一人の部屋でなくなったことは、確定事項となってしまっているのだから。
京都に住む葵の親が、東京に住む娘についてやむを得ず男性上司と同居させるのは、まだ理解出来る。
だが、同じ東京都内に住む薫と紫穂の親もまた、娘が男性の部屋に同居することへ肯定的なのは理解に苦しむところだ。
特に薫の母、明石秋枝は「私は、あの子と本気で向き合えないから」などと言い、皆本宅へ預けきりになることを、むしろ喜んでいる節さえあったりする。
育児放棄か家庭崩壊か、はたまた別な何かか――
少なくとも、この現状は親たちにとって益になることなのだろう。
皆本にとっては、どうなるか分からないのだが。
「なんだかなぁ」
黄昏に包まれていく光景を見ながら皆本は、久々の一人の夜を、不思議にも持て余し気味と感じながらそう独りごち、夜の町へと出掛けていくのだった。
一方、残されたチルドレンたちは、皆本の複雑な気持ちを余所に、それでも精一杯悩んでいた。
見つめる先は、二つの箱。
注意書きで覆われた、しかし普通に扱ってよいはずの代物を前に、薫は分からない、と根をあげた。
「なぁ、葵。どっちが良いんだろう?」
「ウチに振らんといてーな。ま、普通に考えればこっちがええんとちゃう?」
葵が指した箱には、こう書いてある――『弱酸性』。
両方とも洗濯用洗剤なのだが、どうやら、どの洗剤を使うかで揉めているらしい。
几帳面な皆本らしく、生地によって洗剤を使い分けているのであるが、洗剤の使い分けなぞ想像だにしていなかった三人は、みな頭を抱えてしまったのだ。
彼女らが通う小学校でも、家庭科の受業はある。
しかし、五年生の途中から通い始めた彼女らは、その手の知識がいささか不足していた。
一応、紫穂のサイコメトラー能力で何を使えば良いかは分かった。
しかし、それでもなお、下着にこだわりを持つ薫にはそれで良いのか決定出来ないで居るのである。
葵は早くやらんとな、と紫穂の指示した箱を持ち、薫へ言った。
「さっさと始めんと、終わらへんで。これでええやん」
そう言われても、しかし薫は納得しなかった。
「だって、生地を痛めないように中性なんだろ? せっかく高価なやつなんだから、ちゃんと洗いたいじゃんかぁ」
薫が手に持っているのは、生地がかなり少なく、小学生が持つには不釣り合いなほど扇情的な物体である。
これが現在一番近しい異性、皆本攻略に必要な物ならいざ知らず、単に趣味で集めていると言うのだから、少々頭が痛い。
他の二人は年齢相応のしか持っておらず、また、それなりに家事知識もある――うち一人は情報を読み取るだけで実行しようとはしないが――ため、薫のこだわりを少々あきれ顔で見た。
「薫ちゃん。そうは言っても、どれかに決めないと、いつまで経っても洗濯できないわよ? ともかくやってみましょうよ」
既にして投げやり状態な薫と困り顔の葵へ助け船を出したのは、紫穂だった。
らちが空かないと思ったのだろう。
二人の同意を得ずに、ひょいと洗剤を洗濯機の中へ入れてしまう。
スプーン一杯の粉石けんが、さらさらと水に溶けていく。
グリンと音をさせ洗濯時間をセットした紫穂を見て、ふと嫌な予感がした葵は、彼女へ尋ねた。
「紫穂、あんた今、何入れたん?」
「何って言われても、洗剤だけど」
問われた意味が分からない紫穂がきょとんとしている間に、葵が彼女の手から洗剤箱を奪い取る。
薫と葵が論議していたのとは、明らかにメーカーが違う。
更には、大きな字でこう書いてあるではないか――『弱アルカリ性』。
「何でこれを入れるんやねん!」
「だって、美容のためには常識じゃない」
先ほど、自分で弱酸性と読み取ったではないか。
それなのに、弱アルカリ性洗剤を入れるとは、何を考えているのか。
言い争いにうんざりし、やけくそ気味で洗顔液に同じと結論づけてしまったのだろうか。
箱を落とすほど葵がパニックになりかけた瞬間、言い争いの相手が矛先をそらしてしまって面白くなく感じた薫は、手に持っていた箱をドンと床に置いて、こちらは完璧なやけくそ気味な声で言った。
「綺麗になりゃいいんだろ! こっちも入れちゃえばいーんだろう!?」
無謀にも葵の箱をがぱっと開け、紫穂の入れたものの倍する量をどさっと入れてしまう。
「え?」
「あっ!」
二人が止める暇は無かった。
先の洗剤が溶けたばかりでほんの少々青く色づいている箇所に、白い粉が山ほど降りかかる。
そして少し後、嫌な想像を実証するかのように異様な臭いが漂い始めてしまった。
「わ、くっさ!」
単純に鼻をつまんだ薫の横で、顔を青ざめて紫穂が叫ぶ。
「塩素ガス!?」
「き、緊急テレポート!!」
それを聞き、慌てて葵が能力を発揮して三人はビルの屋上に出た。
はぁ、と小さな胸をなで下ろした葵は、薫をキッと睨んだ。
「何で、あれを入れるねん! 酸性とアルカリ性を混ぜると有毒ガスになるのは習ったやろ!!」
たじろぎながら、事態の張本人は言い訳をおこなった。
「……えーと、洗剤の量が二倍なら、汚れ落ちるのも二倍じゃなかったんだっけ?」
あはは、と頭を掻きながら言うその姿は、どう見ても理解していなかったとしか思えない。
しばらくは部屋に戻れないわよね、と小声で呟いた紫穂が、ふと気付いて疑問を呈する。
「でも、粒状洗剤でガスが発生するとは習ってなかったわよ。液体洗剤での、しかもトイレ用洗剤での話じゃなかった? それと、塩素系洗剤と酸性洗剤だったような……」
「そ、そやったか? それはそーとして、ガス発生したのは確かやろ。なら、それでええねん……じゃなくて、よくないっつーねん!」
間違いを指摘されて動揺したのか、自分に突っ込みを入れた葵を見て紫穂は苦笑した。
自分で洗濯するとか言いながら、葵は洗剤の種類さえ事前勉強してなかったようなのだから、呆れるほか無いではないか。
紫穂も、人の間違いを指摘できるほどの知識が無いことは先の一件で明らかなのだが、一番勉強の出来る葵がこの有様となってしまったことで、誰も突っ込みを入れられないのが残念である。
ところで、今回はいったい何が起こったのだろう?
普通、酸性とアルカリ性が混ざれば中和されるはずなのだが、しかし、先ほど二人が別々な洗剤を溶かした結果では、別な何らかの化学反応が起こったらしいとしか言いようが無い。
漂白剤なら塩素系もあるが、先にそちらを入れてなかっただろうか?
そんな疑問は当然あるし、感じた異臭も、単に気のせいだったのかもしれない。
しかし、実際のところを確かめる気は、誰も持ち合わせて居なかった。
数秒後、なんとか突っ込みから立ち直った葵は薫を見たが、まだ笑ってごまかそうとしている。
なので小言は無駄だと悟った葵は、溜め息を吐きながら呟いた。
「換気せーへんとなぁ」
無造作に部屋へ戻るのは、かなり危険だ。
彼女が優秀なテレポーターであっても、中から鍵を開けて換気するには時間も装備も足りない。
とはいえ、バベル本部に泣きついて処置して貰うわけにもいかない。
皆本の小言が多くなるだけの結果しか見えないのだ。
――このまま放置しておくことは?
それも当然出来ないことだ。
彼の帰宅までに何とかしておかなければ、何も知らずに入ってしまうかもしれず、そして……最悪の事態となってしまう。
この対策は、本人にしてもらうのが筋だろう。
ちらり、と横目で見た葵に同意してか、紫穂も同じように視線を向ける。
「そうね、窓を壊すしかないわよね」
決定済みと言わんばかりの二人の視線を受けた薫は、引きつった顔となった。
「それで、窓を壊したあたしだけ罰を受けるってこと? チームなんだからさ、こういうのは三人一緒ってことでじゃ……駄目? だいたい洗剤入れたのは、あたしだけじゃねーじゃんかぁ……」
最後、泣き言に近くなったその提案は、しかし、受け入れられなかった。
最初に洗剤を入れたのはあんたじゃんとの不服そうな視線を無視し、何でこんなこと分からないのと、とぼけた顔で紫穂が告げる。
「皆本さん帰ってこれなくなっちゃうわよ? それに、あたしたちも入れないから、別に寝るところ確保しないと美容に差し支えるわよねー。皆本さんと二人で外泊しちゃおうかしら」
それは横暴だー、との小さな悲鳴に被せるように、葵も澄ました顔で予想を言った。
「確か、洗濯の順番は、あんたの勝負下着が最初やったはずよな。早くせんと、ボロボロになってしまうと違うのん?」
「それもいやー!」
滂沱の涙を流す薫を尻目に葵は、他に出来ることないか、と一応は紫穂に話しかけた。
「なぁ、能力で換気扇だけ動かせへんの? あんたなら、配線を読み取れるんとちゃうか?」
「無理ね。時間掛ければ可能かもしれないけれど……読み取れたとしても、今の薫ちゃんに精密作業が出来ると思う?」
「……無理やろうなぁ」
たとえ日本一のサイコキノであろうとも、まだ十歳の薫にとって、集中力の必要な細かい作業は苦手な分野である。
なおかつ、心入り乱れての作業となれば、難しさは格段に増大してしまう。
「あたしたちじゃ、あそこの窓を壊すだけの力も無いしね。と言うわけで、薫ちゃん、よろしくー」
「納得いかねー!」
そんな薫の叫び声がビルの屋上から空に吸い込まれていったが、最後には、この状況を打開するために、とほほ、と涙を浮かべながらも、薫はガラスを壊して換気することに同意した――せざるを得なかった。
部屋に入れなければ、自分が眠ることさえ出来ないし、コレクション回収だって出来ないのだ。
まあ、結果はさんさんたるものであったろうことは、想像に難くない。
薫がそれ以後、洗濯に手を出そうとはしなくなったのが、その証左である。
部屋の修理について皆本から小言を言われたのはともかく、高価な下着を駄目にしたのが、かなり堪えたらしい。
しかも情けないことに、彼女は、何とその後も洗濯ノウハウを覚えようとはしなかった。
「だって、あたしが手ぇ出したら痛めちゃうんだもーん」
そう、彼女はこともあろうに洗濯についての一切合切を皆本へ任せきりとし、彼の洗濯風景を後ろからニヤニヤ笑いながら見ることにしたのだ。
自分は楽をし、彼の仕事を楽しそうに眺められる――これぞ一石二鳥!
そんな、哀愁漂う彼の背中を寝そべりながら見ている薫と比較して、最初の切っ掛けになった葵はまともな成長をしているかと思いきや……
「こら葵! ちゃっかり自分のも混ぜるんじゃない!!」
何と皆本の嘆きを余所に、薫が洗濯をお願いすると、それに自分の分をも上乗せするようになってしまっていた。
パンツ見られてお嫁行けへん、とか言っていたのは、どの口だったろうか?
「まったく、あの恥じらいは何だったのか……」
そう皆本が嘆くのも無理ならぬことだ。
異性へ下着洗濯を願うことは、彼女が理解している常識と反する行為ではないのだろうか?
皆本の注意を受け、荷物の一部を入れ損ねた葵は、仕方なく汚れ物を掴んだまま手を引っ込めて言葉を舌に乗せた。
「だって、仕方ないやねん。皆本はんのほうが上手いんやから……」
顔を赤くしながら、そう口ごもる葵の顔は、しかしどこか嬉しそうだ。
何だかんだと文句を言っても、最後には、皆本がきちんと願い事を聞いてくれると分かっているからだろう。
それでも、堂々とではなく、そっと隠しながらというところが、まだ可愛いところだ。
二人の言い争いを遮るように、薫が後ろから声を掛ける。
「葵もさあ、サイズ負けてるからとか考えないで、素直に皆本のチェック受ければいーのに」
心底楽しそうに、がははと笑う薫の顔は、とても乙女の顔とは思えない。
恥じらい無く洗濯物を預ける姿を見たら、彼女を淑女と言うのは、おこがましいとさえ感じてしまう。
「薫も毎回洗濯を見てるんじゃないっ! そんなに気になるなら、自分で洗えば良いだろうが」
そんな皆本の嘆きを、さらりと薫は受け流した。
「下着はちゃんと洗いたいから皆本へ預けるんだってば。それに、またガス発生させてガラス割るはめになり、あたしのこと怒りたいの? そうじゃないよね。それに、皆本だってホントは女の子の使用済み下着を手に取れて嬉しいくせにー」
「そんなことあるかっ!」
思わず怒鳴った皆本の横で、せやったな、と葵は呆然と立ちつくした。
洗濯物とは、つまり自分が身につけたやつで、それを皆本が洗うと言うことは……
「皆本はんのフケツッ!」
急に恥ずかしくなり、思わず葵はそう言って皆本を殴り始めてしまった。
恥ずかしいのなら最初から頼まなければ良いはずなのだが、恥ずかしいと言いながらも撤回しないのは、薫に対抗してなのか、はたまた他に理由があるのか、皆本にはまったく分からない。
取りあえず手を止めて欲しいものだと皆本は思い、葵へ少々大きな声で注意する。
「あいたたっ。そんなものは、振り回すものじゃないだろう?」
それを聞いて、葵は再度ハッとした。
先ほど、皆本と薫が話している間に自分の分を入れ終えようとしたのだが、それがアダとなり、下着持ったまま殴っていた事実を言われるまで気がついてなかったのだ。
「乙女の純情返せっ!!」
しかし葵は、そう大声を出しながらも手から問題の物体を離そうとはせず、はしたなくもそのまま皆本を殴り続けてしまった。
ここで一旦離すと、放り投げてしまい皆本に見られてしまう可能性が高くなってしまうと思ったからなのだが、そもそも、葵が洗濯を頼もうとしなければこの事態は起こらなかったのだから、皆本を批難するのは筋違いだろう。
葵の心境を分かっているのかいないのか、薫が二人の姿を見てニヤニヤする。
「葵もエッチよのう」
そんな時代がかった口調で揶揄されても、今の葵には反論出来なかった。
自分から何か言えばやぶ蛇になりそうなので、皆本を殴って有無を言わせないようしなければならないが、かと言ってこのまま殴り続ければ、ますます小言や揶揄を言われてしまう。
洗濯を願っても願わなくとも、結局は以前と変わらず悪循環にしかならないのか?
端から見れば「仲が良いね」と言われそうだが、殴られる方は堪ったものでは無い。
こんなことは日常茶飯事であり、そのうち疲れて止めるだろうと思っていた皆本も、さすがに加速していく葵の腕から頭を庇いきれなくなり、そろそろ洒落にならなくなりかけたそのとき、葵の腕をぐいと掴んだ者が居た。
チルドレン最後の一人、紫穂だ。
その行動は正しいことだったが、何やってるの、と葵をたしなめた後、しかし、さも当然のように自分の荷物を皆本に預けるのは何故なのだろう。
「……えーと、君もなの?」
ほっとしたのも束の間、新たな洗濯物の出現に皆本は困惑した。
何で僕が、とも言いかけたが、それを遮って紫穂が楽しそうな口調で質問に答える。
「チームなんだから当然でしょ。それとも、私だけ除け者にするつもり? 優しい皆本さんは、そんなことしないわよね」
断言的口調で述べられ、はぁ、と溜め息を吐く皆本へ続けられる彼女のお言葉。
「皆本さんは、優しく、丁寧にしてくれるから、私もお願いしたって平気でしょ。上手い人って素敵よね〜♪」
ねー、と同意を求めた紫穂は、予想通りの反応を得た。
「よっ。この主夫日本一!」
この薫の反応は、これまでの洗濯仕上がりが好ましい結果だったことから、今後ともよろしくとの当然の言葉だろう。
「こんなことお願い出来るんは、皆本はんだけなんやからなっ!」
葵でさえ、あれだけ恥ずかしいと言いつつも、今後も皆本へ洗濯を押しつけることは確定のようだ。
皆本が呆れているうちに、さっさと洗濯機へ下着を放り込み、ポンと皆本の背中を叩いて後押しさえしているではないか。
葵も、薫の積極性に影響されたのか?
紫穂の大胆さに対抗せねばと思ったのか?
あるいは、葵たちには満足に出来なかった家事を、てきぱきとおこなう皆本の姿に何か感じたのかもしれないが、それでも下着類まで洗濯させるのは、葵の言う純情な乙女姿とはほど遠い。
見られることに快感を得ると言うのなら話は分かるが――まさかそれでは無いだろう。
ただ一つ言えることは、今後、彼女たちがどれだけ育っても洗濯は全て皆本がおこなうことになるだろうと簡単に予測できることだけだ。
皆本がぐるりと見回すと、薫も紫穂も、そして葵も、みな皆本が自分のをどれほど丁寧に扱ってくれるのか興味津々で見ようとしているため、彼は思わず内心で溜め息を吐いた。
下着も乙女心も、心を込めて丁寧に扱うよう、一般的には言われている。
だが本当は、優しさのみならず、汚れを落とす強引な力も必要のはずである。
――優しく扱い過ぎたのか?
――力の掛け具合を間違えたのか?
薫どころか、洗濯拒否の言いはじめである葵も、更には公務員の親から厳しい躾を受けたはずの紫穂までもが皆本へ洗濯を願うようになり、皆本は、今までのことを考えても何も好転させられないのだが、しかし、どこで選択を間違えたのかと溜め息を深くするのであった。
―終―
> 短編 > お金の価値
お金の価値
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
方言協力:サスケ
『十円チョコでええのん?』
自問自答しても、結局結論を出せず、そのまま十円チョコをあげてしまった今年のバレンタイン。
あげた相手は、ウチの所属するバベルの上司、皆本光一はん。
決して、お金が惜しかった訳やない。
でも、いざチョコを買おうとして、気ィ付いてもうたんや。
ウチは本当に皆本はんが好きなんやろか、と思っている自分に。
同僚の薫と紫穂にも呆れられたけど、ウチは最初、普通のチョコを買おうとしてたはず。
でも、いざ財布を握り締め、売り場に行ったとたん、迷ってしもうた。
どんなやつなら喜んでくれるんやろ?
お金掛けてもええんやろか?
悩んで悩んで、分からんようになって、つい、ぽつんと置かれた安いチョコを手にしてもうてた。
ほとんどの人は手を伸ばさず、見向きさえされず、でも、確実に需要があるそれ。
バベルでの自分と、実家での自分と、それが全て重なって見えたんは、偶然なのかもしれへん。
チームの仕事に貢献してる言うたら聞こえはええけれど、ウチの仕事は単なる運び屋に過ぎへん。
サイコメトラーの紫穂は、皆本はんの指示を的確に掴んで彼をサポートしている。
サイコキノの薫は、指示の実行役として、確実に彼の役に立っている。
でも、ウチは?
テレポーターでしか出来ない仕事って、あまり無いやん。
みなを連れて行っても、それだけで仕事が片付く訳やないし、結局のところ、便利屋程度としてしかウチは自分を掴めてへん。
実家でだって、そうや。
お父はんは会社で忙しいし、病弱だった弟のため、お母はんも忙しい。
一応は健康なウチが京都におらんほうが、ずっと実家のためになってるかもしれへんと思うのは、間違いなんやろか?
最近は弟も元気になり、なんぼか精神的余裕が出てきたようやし、実家にもウチの居場所があるよう感じるけど、それでもまだ疎外感はある。
それに、ウチはお金にうるさい言われているけど、そんなん、仕方ないやん。
だって、ウチの契約金で親の会社が持ち直したんやで。
お金があればウチが東京に行くこと無かったかもと想像したら、ちょっとくらいやかましく言うたってええと思わんか。
お金で解決できへんことがあることは、十分に知っとる。
でも、どうしても、お金に執着してしまうんや……
そんなウチを、皆本はんはどう思ってるんやろ。
ここしばらくの付き合いで、彼が今までの上司と違うんは気ィ付いてた。
たぶん、それを最初に気付いたのは紫穂やろと思う。
能力のせいか、いつも達観しているあいつが懐くんやからなー。
珍しゅうて、何かの冗談かと思ってもたやんか。
その後、珍しくてじっくり観察してたら、ウチにも分かってしまった。
絶対に、紫穂は皆本はんを愛してるって。
こないだのチョコの一件かて、そやなかったら、あんなことせーへんもんなぁ。
薫も、いつものように彼へお仕置きしてるけど、それでもきちんと手加減してるのは分かってる。
普通にチョコ買うてたし、あいつも、色々と思うところがあるんやろな。
それで、ウチは何をしてるん?
虐めて楽しむ訳でもなし、心を読まれても怒られないほど信頼されている訳でもなし、いつも見てるだけ。
ちィちゃなチョコを買ってやるだけの、彼の指示通りにテレポートするだけの、そんな安っぽい女の子に、皆本はんが本当に振り向いてくれるん?
彼の表情をただ見てるだけで、それで、何が変わるって?
――何も変わらへんやん!
彼への想いは、まだウチ自身でも分からへん。
でも、他の二人に負けたくないとは思う。
それが、恋愛であっても――や。
紫穂を出し抜くのはきっついんやけど、テレポート以外でも何かアピール出来れば、勝機は出てくるはず。
二人より勉強が出来るのは知っとるから、そっち方面で攻めたらええやろか?
でも、朧はんの財務会計処理能力には負けるしなぁ……
ああっ、もう、こうやって考えても意味無いって!
ウチは、取りあえず自分に何が出来るか、あちこち飛び回って検討することを決心した。
バベル内部には色々と資料がそろってるはずやし、能力を制限されてても、超度四以上にはなるんやから気付かれる前に逃げることは出来るやろ。
ま、局長に言っておけば比較的自由に出入り出来るんやけど、テレポートしたほうが早いからなー。
それで、貴重な時間を短縮出来るってことは、タイム・イズ・マネーを実践出来るってことやないか!
色々勉強して、内面から女に磨きを掛けたる。
きっとウチにも勝機はあるはず。
絶対に皆本はんに認めてもらって、あんなことやこんなことや……
そんでもって、最後にはしがみつきながら『光一はんのフケツッ!!』って言ってやるんや。
どこに逃げても捕まえたる。
世界最速のウチから逃げられるとおもうたら、大間違いなんやからな!!
―終―
> 短編 > チョコの味ってどんな味?
チョコの味ってどんな味?
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
小学校に通いながら公的機関バベルにて特務エスパーとして働く『ザ・チルドレン』明石薫、野上葵、三宮紫穂の三人にとって、放課後遊ぶと言う選択肢はほとんど存在していない。
まだ十歳の彼女たち三人は、現在その若さで日本における最高能力のエスパーなのだ。
授業が終わってもバベルでの訓練があったりするし、たとえ自由時間とされていても、実質的に待機勤務をしなければならない。
普通の小学生と比べ、色々忙しいため、必然的に下校時間は早くなってしまう。
本来体力をつけるべき時期なため、ほとんどは歩いて通学している三人組だったが、たまにテレポートしたり、上司の皆本光一が自動車送迎してくれたりと、ズルをしたりもする。
健康面を考えれば好ましくないことだが、三人が住んでいるところを知られないためには、多少の配慮が必要なのである。
仮に住所を反バベルの人間に知られたなら、チルドレンのみならず小学校全体が危険にさらされてしまいかねないこともあり、上記に加え、通学経路を基本的に毎日変更したりもしている。
紫穂の朝シャンで遅れそうになり、たまに最短距離を突っ切ることもあるが、幸いにしてそれで知られた様子はこれまで無い。
しかし、だからと言って危険がないとは誰にも言い切れないのだ。
それだけの危険を考慮してまで普通の就学をさせることを、バベルの人間はともかく、その上層部がどう判断しているのかはまだ分からないが、少なくとも、チルドレンたちがこのようなイベントに今まで無関心だったことが判明したのは、ある意味就学した成果だった。
バベルで育ち、仕事だけを義務的にこなしていた彼女たちは、それがゆえ、情緒面での行事に関心を持っていなかったのだ。
なので、珍しく時間が取れた彼女たちが放課後クラスメートとたわいもない話をし、こう聞かれたとき、三人が三人とも絶句せざるを得なかった。
「ねぇ、みんな今度のバレンタインで誰にチョコあげるの?」
その話題を振ったのは、クラスメートの花井ちさとである。
彼女は超度二のテレパスなのであるが、チルドレンが転校してきたことが切っ掛けで仲たがいをしていた男子児童とも普通に話し出来るようになったことから、特に面倒を見てくれる存在となっていた。
問題の男子へ今ならチョコをあげても拒否されないだろうとの安心感が、花井にその話題を言わせたのだが、周囲ではお父さんかなとか小遣いないよーとか話しているのを余所に、チルドレンたちだけは、どうする、と目を見合わせて黙っているだけだった。
皆本以前の上司は、みな彼女たちの行動に付いていけず仲良くなることが出来なかったし、チルドレンを全面的に肯定する桐壺局長は、逆に初老であげたくない人物となってしまっている。
能力のせいで同年代とは付き合いがなかったし、ようするに、知識としてそういったイベントがあるのは知っていても、三人は自分たちには関係ないとずっと思っていたのだ。
「まさか、お小遣い残してないんじゃ……ないよね?」
花井は、そんな三人の様子を不審に思ったため、そう聞いてみた。
詳しい事情を知らないことから、それくらいしか彼女たちの態度が説明つかなかったからだ。
気がつくと、ほかの女の子たちも興味津々といった風で三人の顔を見ている。
転校生ということもあり、三人からその手の話を聞いたことがなかったため、この機会を逃すと聞けないかもしれないと、いつの間にかぐるりと取り囲むように立ち位置を変えてしまっている。
テレポーターの野上葵なら、この場から逃げることは可能だった。
しかし、無用のトラブルを避けるため超度二と自称していることから、リミッター以上の能力を示すことは適当でない。
また、それをしても、結局明日に再質問されるのが落ちだ。
仕方なく、言い逃れでお茶を濁すのが無難だろうと判断し、みなは三者三様の答えを返すことにした。
「たぶん、パパにはあげるかも……」
最初に、東京都内に実家がある紫穂が無難な答えを口にする。
皆本と同居しているため次に会うのがいつになるかは分からないが、お互いに嫌っているのではないから、妥当な答えだろう。
ふーんと納得したクラスメートへ、葵が続ける。
「ウチ、仕事の関係で実家から離れてるから、今はちょっとなぁ」
残念そうな思いをにじませたため、転校初日に言われたことを思い出し、ああそうかとこれにも級友は納得した。
葵の口調がいわゆる標準語でないことから、実家はかなり遠くなのだろうと気付いているため、事情にそれ以上の突っ込みをしてはいけないとの暗黙の了承がなされているらしい。
すると、残るは薫だけである。
直情型の思考形態であることから、とっさの嘘が付けない薫は、しどろもどろとなってしまっていた。
一応、渡したい相手は思い浮かぶのだが、それを言って泥沼にハマることは避けたいものの、うまい言葉が見つからないようだ。
「もしかして、住んでいるところの、えーと、ほら、皆本とかって言う人?」
そのうちに、言いにくいのは相手がいるんだろうと推測した一人が、ずばりとそんなことを言ってしまう。
これも、転校初日に言ってしまった内容からの判断だ。
住宅の場所は言っていないものの、保護者として名前を挙げていたことから皆本の名が出たのだが、あからさまに言われたことで薫は動揺した。
「ち、ちげーよっ! あいつはそんなんじゃ……」
「あー、赤くなった。ねぇねぇ、どんな人なの?」
はぐらかすことが出来ず、あっさりと薫は危惧どおりになってしまった。
親が離婚して現在父親がいないため、それを言っておけば良かったのかもしれないが、いまさらそれを言うこともはばかられる。
また、皆本のことを言おうものなら、絶対に会ってみたいと言われそうでそれも困る。
進退窮まった薫を見かねて、紫穂は助け舟を出した。
「ところで薫ちゃん。お小遣い足りてるの? 前に宵越しの金は持たないって言ってたけど、チョコ買う金残してないんじゃない?」
それを聞き、そんなの信じられないと口々にクラスメートが詰め寄る。
みな、大事なイベントなのに、お金残してないとは何事だといった内容である。
紫穂がフォローしそこねたことで、葵も言葉を挟む。
「だってしょーがないやん。人それぞれなんやし、薫は大食漢やしなぁ」
「あたしの、どこが大食漢だっ! おなか出てないだろーがっ!」
そう反論した薫に、葵は涼しげに言う。
「その代わり、胸も出てないやろ?」
取っ組み合いのけんかになりそうな雰囲気になったことで、ほかの人たちが少し距離を置く。
その隙を見て、紫穂は笑顔で宣言した。
「けんか始める前に帰らないと大変だから、また明日ね」
そして、先に行ってるからねと二人に声をかけて廊下へ出て行く。
こうすれば、二人ともすぐに後を付いてきてくれると信じているからだ。
案の定、薫と葵はすぐにけんかを止めて飛び出してきた。
何とか追及を振り切ったらしい。
学校敷地を出たところで、ほっとした薫に紫穂は尋ねた。
「ところで薫ちゃん。あなた、本当にお金残ってなかったりするの? 皆本さんへはどうするの?」
「……レア品買うので精一杯だったんだよなぁ……」
どこでこうなってしまったのか謎であるが、薫は女性用下着のコレクターである。
母親や姉のスタイルが良いことと、父親が居ないことが影響しているのかもしれないが、とても小学生の趣味とは思えない。
倹約家の葵はともかくとして、化粧品にお金を掛けている紫穂にまで心配されるほどなのだから、健全な発育との観点からすると頭の痛いところである。
「ま、自業自得なんやから、心配もそれくらいにしとき。皆本はんから何言われんるかは分からんやけど」
葵からもこう言われた薫は、うっ、と言葉に詰まった。
二人の態度からするに、それぞれ皆本へのチョコ用資金は用意してあるらしい。
余裕を見せ付けられ、悔しくなった薫は何回か口を開き掛けたものの、結局一言も言い返すことなく、この日は無言で皆本が待つ車に向かったのだった。
「なぁ、皆本。バレンタインにチョコもらえなかったら……やっぱり寂しい?」
次の日、学校帰りに寄り道をして一人遅れた薫は、みなが待っている自動車の中へ入ってくるなり、そんなことを言い出した。
前日に彼女が内心頭を抱えていたと知らない皆本は、何を言い出すのかと、機械操作の手を止めたものの、それへ見当違いの答えを返してしまう。
「僕か? そんな青春送ったことなかったなぁ……敬遠されてたしね」
少年時から天才と称されており、学校で浮いた存在となっていた皆本は、チョコレートなぞもらった事が無かった。
チルドレンとも一応は上司と部下の立場であるため、彼女たちからもらえるかもしれないとは全然想像してないようだ。
縁が無いんだろうなと苦笑した皆本の寂しそうな顔を見た薫は、不思議そうな顔となった。
以前、自分の母親と姉が自分の目前で彼を誘惑していたため、その言葉がどうにも信じられないのだ。
ま、そんなものさと言って自動車を発進させようとした皆本に、慌てて薫は言った。
「あたしからあげるからさ、そんな顔するなよな!」
すばやく手提げのビニール袋から綺麗に包まれた物体を取り出した薫は、彼の左手にむりやりそれを押し付けた。
「普通の板チョコしか買えなかったけど、ごめん。日ごろ買い物しまくってたんで、これしか……その、ごめん」
こういったものは、金額が問題なのでは無い。
日ごろ乱暴を受けている相手からこのような気遣いを受けたことで、成長してるよな、と皆本は嬉しくなった。
「正直、その気持ちだけでも嬉しいさ。ありがとな、薫」
そして、彼女の頭をやさしくさすってやる。
えへへ、と顔を赤らめた薫を見て、さっと顔色を青く変えた残りの二人も、急いでカバンからチョコを取り出した。
運転の邪魔にならないよう部屋へ戻ってから渡そうと思ってたのだから、薫の抜け駆けとも言える行為と、それに対する皆本の好意的反応が面白くなかったらしい。
まず葵が、皆本の右手へ妙に小さいチョコをぐりぐりと押し込んだ。
「いたたたっ!」
どうやら角ばった包装らしく、そんな悲鳴を皆本はあげたが、それさえおかまいなしに押しつけるのだから、よっぽど気に食わなかったらしい。
「ウチは十円チョコや。気持ちだけでもイイんやろ? ちゃんと味わってな」
倹約するにもほどがあるだろう。
ここに至ってもそれしか用意しない葵に、紫穂は呆れた。
「そんなんじゃ、皆本さん喜ばないでしょ。倹約もいいけど、もっとお金を有効に使わないといけないんじゃない?」
「化粧品ばっかり買ってる紫穂に言われとーないで。あんたこそ、買う金残ってたんかいな? その手に持ってるのは、いつものやつやないか」
確かに紫穂が持っているのは、いつも彼女が食べている棒状のビスケットにチョコがついているお菓子である。
しかも封が開いており、いくつかは既に食べられているようなのだから、それを皆本へあげるのは、いくらなんでも酷すぎやしないだろうか。
更に、それかい、と内心溜め息を吐いた皆本を始めとする三人の前で、紫穂は中の一本をパクッと自分の口へ入れてしまった。
「ちょ、ちょっと紫穂。それ、皆本へあげるんじゃないの!?」
まさかあげないつもりなのかと思った薫の抗議を無視し、紫穂は、にっこり笑って食べかけのそれを口から出してしまう。
「そんなことないわ。ちゃんと皆本さん用よ。だって、こうするんだから」
紫穂は、何をするつもりかと、ぽかんと口を開けていた皆本の口に、すっと手を伸ばした。
自分が食べかけのチョコを、皆本の口へ、そのまま――
「あ"ーっ!!」
「それはズルいでっ!!」
とたんに、薫と葵が大きな悲鳴をあげる。
歩道を歩いていた人が、何事かと思わずギョッとしてしまったほどである。
三人の中で一番程度が酷いと思っていたのに、まさか間接キッスを仕掛けるとは思いもよらなかった。
口に突っ込まれた皆本だけは無言だが、それは、抗議したくないからではない。
単に、痛みで声が出せないだけだった。
皆本がさけないよう、手早く、ビスケット部分が口腔上部に刺さるくらいの強さで紫穂が口に差し込んできたため、チョコの甘さより痛みのほうが勝るのは当然だろう。
しかし、皆本が文句を言わないのは、彼がこれを了承したからだと薫と葵は勘違いした。
自動車の中で狭いため、思いきり能力を発揮させられないことから、二人は片方ずつ彼の腕を取ってぎっちり締め付ける。
「……!! ……!!」
まだ声を出せないらしく皆本が無言の悲鳴をあげ続けているのを、間接キッスが成功した喜びでなのか、この二人の反応も予測済みの悪戯だったのか、紫穂は妙に嬉しげな顔で見続けていたのだった。
ちなみに後日、ホワイトデーでのお返しとして肉の無い野菜オンリーホワイトシチューを出されることまでは、当然ながら、さすがの紫穂も見通すことが出来なかったようだ。
野菜嫌いな彼女への意趣返しだったのだが、他の二人はともかくとして、何と紫穂もそれをペロリと平らげたため、野菜嫌いを克服したことを喜んでいいのか、それとも復讐にならず悔しむべきなのか、紫穂は更に皆本を悩ませたのだった。
なお、薫であるが、皆本特製シチューの半分を一人で食べてしまい、みなから顰蹙をかったのは当然の流れである。
「だって、二人とも普通のチョコあげてなかったじゃん。あたしのだけが普通のだったんだから、三倍返しで本当は独り占めでもいいくらいだろ?」
そう力説されたら、さすがに葵も紫穂もそれ以上の突っ込みを入れられない。
その妬みの目を気にせず、勝ち誇り、たらふく食った薫は、来年はあたしが予約するからな、と言って皆本の皿を舐め始めた。
どうやら、先日の紫穂に対抗して自分も間接キスをと思ったらしいが、さすがに皿を舐めるのは、子供とはいえはしたない。
皆本に怒られ、逆切れして今日も彼へお仕置きをしてしまったのは、あまりにもあんまりな結末だ。
サイコメトラーの紫穂に皆本の手当てを奪われてしまい、一人さびしく薫は叫ぶ。
「あたしだってラブラブしたいんだからなー!」
叫ぶくらいなら、もうちょっと考えろよとの突っ込みを聞き流し、薫は、明日は今日より皆本へ甘えようと決心するのだった。
―終―
> 短編 > ただ、愛のために
ただ、愛のために
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
眼鏡の男は一人、室内で悩んでいた。
大きな窓からは、いつものようにさんさんと光が差し込み、完璧な手入れがなされている、豪華な内装の快適な空間へ身を置いているのにもかかわらず、だ。
目前の机には、一枚の紙切れが乗っている。
単なるメモにしてはぎっしりと、報告書にしては乱雑な文字の羅列としか見えないものだが、男の態度からは、非常に重要な事柄が書いてあるのだろうと察せられる。
たぶん、何回も修正を書き加えたのだろう。
一部が二重線で上書きされていたり、疑問符やレ点チェックがあちこちへ書き込まれていたりと、読み難いことこのうえない。
しかし、僅かな隙間でさえ埋めようとしてか、男は数分掛けて悩んだ結果をまたまた小さく書き込むと、大事そうにスーツの胸ポケットへとそれをしまいこんだ。
部屋では、通常のスパイ防止装置が作動しているほか、超能力妨害装置さえもが作動している。
また、最新型である個人用携帯妨害装置も身に着けているのだが、それでも安心出来ないとばかりに、何回かスーツの上からメモと機械を叩いて存在を確認すると、達成感で疲れが急に襲ってきたのか、男は眼鏡を外して目頭を押さえた。
それを待っていたかのように、ドアが来訪を告げる。
男は、慌てて眼鏡を掛けなおし、威厳を取り繕った。
「三宮長官。そろそろ会議の時間です」
「たしか議題は、『エスパー犯罪者の規制について』だったはずだね」
椅子から一歩も動かず、鋭い眼光を来客者――自分の秘書なのだが――へ向けた男、警察庁長官三宮は、僅かに拳に力を込めながら即座に言い返した。
「はい。法運用による規制強化と警察の機能強化が主題であります。皆様、お待ちかねであります」
威圧するかの如き口調に慣れているのか、秘書は並みの人間ならたじろぐであろうそれを受け流すと、平然と口を開く。
言外には、やんわりとだが時間厳守だぞと厭味さえ付いている。
公務員たるもの、そして、いやしくも法の番人であり責任者であるのならば、それくらい常識だろうと当の本人から叩き込まれているのだから、この態度は当たり前である。
そうだったな、と小さく溜息を吐き、すっくと立ち上がった三宮は、態度を仕事のそれに戻しながら、こう考える。
――もし、私が犯罪を計画していると知ったら、君はどうするかね?
無論、聞かなくとも分かっている問いである。
立場からも、一人の日本国民としても、制定された法は、法治国家に住む人間ならば優先されるべき事項なのだから。
そして彼は、会議が終わったら結果を加味してメモ内容を再度検討し、今日中に清書したいと考えながら、ずいと歩き出した。
この会議は、エスパーである愛娘にも関係してくるのだ。
いくら娘を愛していても、それによって議題の方向性を見誤るわけにはいかないと、彼は秘書に案内させながらそうも思う。
何があろうとも、国民を守るのが警察の義務なのだから――
いつもは気にしない靴音が、今日の三宮には、やけに大きく響く気がした。
そして夜もふけ、帰宅した三宮は、妻が待つリビングへ向かった。
手には、昼間したためたメモがある。
どうやら、内容は纏まったらしい。
「お帰りなさい。あの娘は、今日も皆本さんのお宅ですよ」
あの娘とは、三宮夫妻の一人娘、紫穂のことで、現在は日本国内務省にある超能力機関『バベル』の職員となっている。
彼女は幼少時から高い能力を発現させていたことから、色々あってそこへ預けざるを得なかったのだが、三宮もその妻も、決して彼女を嫌ってるわけでは無いため、ずいぶんと寂しい思いをしていた。
また、皆本とは、紫穂が所属するエスパーチームの男性指揮官だ。
いくら紫穂がまだ小学生であり、ずいぶんと彼になついているとはいえ、一緒に住むことはいかがなものかと思ってしまう。
チーム全員で彼の部屋へ転がり込んでるため、万が一の心配は少ないし、何より、バベル内部でだけ育っていた頃よりずいぶんと表情の明るくなった紫穂のことを思えば、行くなとも言えない。
少し複雑な思いで夫を迎え入れた妻は、それでも彼を気遣い、すぐに椅子から立ち上がった。
テーブル上には、弱めのアルコール飲料と好物のつまみが既に準備されているため、あとは彼の着替えを手伝うだけだ。
だが三宮は、いつもしてもらっているそれを手で制すると、椅子に座るよう妻へ促した。
「あの娘が居ないなら、その方が都合良い」
その言葉と態度に困惑しながらもテーブルへ戻った妻は、すいと出された一枚の紙を読んで、うっ、と声を詰まらせてしまった。
「あなた、これ、本当によろしいのですか? あの娘の了承も得ず、しかもあなたの立場でこれは……」
反論は、当然のように予期していたのだろう。
彼は、分かっている、と簡潔に答えると、もう一回よく読んで欲しいとお願いした。
そして、読み終わってなお顔を曇らせたままな妻に向かい、こう告げる。
「確かに、これは現行の法律では犯罪となる。私の立場では、国民の幸せと法を守らねばならない義務があるが、しかし……私は一個人の親として、子供の幸せをも守らねばならないのだよ。お前なら、分かってくれるな」
「でも、それでもこのような……この前も、危険な目にあわせたと後悔してらしたではありませんか」
この前とは、犯罪捜査に紫穂を参加させたときの話だ。
他のサイコメトリー能力者では解決の糸口が見付けられない事件について、日本最高のサイコメトリー能力保持者である彼女へ、バベル局長を介して極秘裏に協力要請をしたのだが、その最中、彼女は銃口を向けられてしまっていた。
結果的に無傷で収まったとはいえ、あの一件は、忘れようにも忘れられない。
公私混同を避ける意味でも捜査中は厳格な態度を取っていた三宮だが、彼女の無事が確認出来たときは、人目もはばからず抱きしめるほど安堵したものだ。
苦い顔で妻の言葉に頷いた彼は、それでもこう続けた。
「それだからこそ、だ。娘は――紫穂は、日本に三人しか居ない超度七エスパーの一人だ。日本国民へ大きな責任がある。が、しかし、まだ十歳。と言うか、もう十歳と言うべきだろうか。だからこそ、今のうちに愛情による手を打たねばならんのだよ」
「あなた……」
「今日の会議でも、超能力犯罪に対しての対策が話し合われたよ。内務省付きのバベルに頼らず、自前でエスパーチームを採用すべきではないか、とな。彼らの予知に基づいて動くばかりでは、組織としての独立性が保てないのは自明の理。むろん、私もそれに賛成せざるを得なかった。だがな、もう一つ、エスパーの監視体制強化も議題にのぼったのだよ。そうなったなら、あの娘も……」
仕事のことは一切家庭に持ち込まないことを自慢していた三宮が、このように妻へ話を漏らすのは異例のことだ。
だからこそ、この紙に書いてあることの重大さが、ずしりと妻の肩にも圧し掛かってくる。
妻の表情が一層暗くなったのを見て、三宮は安心させようと努めて優しく語りかけた。
「大丈夫だ。今まで、あの娘があんなにも明るく過ごしているのを見たことがあるかね? 同程度の力を持つチームメンバーとしか、しかも表面上でしか仲良くしなかった紫穂が、今夜も彼の部屋へ行っているのだから、何も問題はあるまい」
「問題はあります! その、チームでは取っ組み合いが絶えないとか聞いていますし……」
紫穂が所属するチームの構成員は、上司である皆本を除き、みな同じ年の女の子たちだ。
能力のせいで特殊な育ち方をしてしまった彼女たちなので、常識に反する行為をおこなうことがあるし、いくら仲良くしているとは言っても、当然、些細なことでいざこざとなってしまうこともある。
紫穂自身は傍観しているだけだとも聞いているが、能力を使いながらとも小耳に挟んでいるため、もしもその矛先が紫穂へ向けられたなら、サイコメトラー能力しか持ち得ていない彼女が対抗することは出来ないのではなかろうか。
ぶるっと震えた妻の様子を見て、ああ、彼女の心配はそちらのほうかと、妻の態度とは裏腹に彼は内心微笑んだ。
どうやら、基本計画自体には賛成してもらえるらしいと知ったからである。
「そちらは問題ない。暴力団との抗争など、これまで揉み消しに協力してきた事件をリークすればいいだけの話だ。エスパーの健全な育成に失敗したとなれば、いかなバベルの局長でさえタダではすまないだろうし、彼女たちにも何らかの不都合が生じるはずだ」
「でも……」
「彼女らが逆上し、バベル以外から圧力を掛けようとする可能性は、少ないながらも無いとは言えない。が、バベルで育った彼女たちが頼み込める先は、自分たちの親しか考えられない。まあ、私たちの娘同様、家族から排除されたと感じている彼女たちが、それをするかは未知数だがね」
一旦言葉を切り、妻がここまで理解したことを確認した三宮は、そのまま続きの内容を口にした。
「もし仮にだが、おこなわれた場合の対処についても考えてある。内々に対応せず、法に基づいた対応を、粛々と進めればよい。二人の親は、事実をうやむやとするだけの権力を持ち得ていないし――ああ、これは確認済みだよ――たとえ社会を味方にすべく記者会見を開こうとも、報道にてどう書かれるのかコントロール出来ないことも分かっている。だから、心配は要らない」
一人の親は会社社長、もう一人のほうは俳優であり、どちらもそれなりに社会的地位が高いのかもしれないが、三宮以上に表と裏、双方の社会へ手を回すことが出来るとは思えない。
一番心配なのは、彼女たちがそういった搦め手を使わず、直接行為を仕掛けることである。
重要人物を拉致する等、最悪の場合についての検討もおこなったが、仮にそうなった場合、三宮は全力で彼女らと敵対するつもりだった。
彼は、日本警察のトップである。
今回の件はともかくとして、他の犯罪に対しては、厳正な対処をせねばならない立場なのだ。
そんな彼の真剣な態度を見、重みのある言葉を聞いている間、内心揺れ動きながらも、妻は夫の目をじっと見ていた。
テーブルの上では、彼女の拳がかすかに震えてもいる。
信頼する夫の言葉であっても、計画に対する不安を拭いきれないらしい。
だが、愛しい娘の将来を思うと、この計画を実行しなかった場合のデメリットのほうが、する際のリスクを遥かに上回る。
疑問や反論を思い付いては、それを飲み込む妻。
何回それを繰り返しただろう。
しばし後、ようやくであるが、こくんと頷いた妻の手を優しく包んだ三宮は、柔らかい口調で何も心配要らないと繰り返した。
「愛は全てを救うのだよ。それは、我らが娘も同様だ。ならば、恐れることは無い――」
「ええ、あなた。親である私たちが愛を与えられないことのほうが、問題ですわよね」
微笑んで納得した妻に、彼も笑みを返す。
「そう言うことだ。今日は、お前も呑まないかね? 前祝といこうじゃないか」
「ええ、そうしましょう」
いそいそとグラスを二つ用意した妻は、とっておきのワインを開けて双方に注ぐと、チンと軽い音をたてて乾杯した。
「紫穂の幸せのために、ですね」
「紫穂の幸せのために、な」
これから起こす犯罪は、娘に対する愛がゆえなのだ。
ならば、自分たちが地獄へ落ちようと、何も恐れることはない。
そう決心した彼らを見て、誰が異常だと言えようか。
法律が許さなくとも、世間が許さなくとも、おとぎ話で無いこの現実世界には、確かな愛が必要なのである。
どれだけの困難があろうとも、絶対に成功させなければならないと誓う彼らの計画の名は――
『紫穂と皆本光一の即時入籍計画』
と言った。
どこかで同時にくしゃみをしたような音が聞こえた。
―終―
> 短編 > 紫穂の幸せな日々
紫穂の幸せな日々
初出:NigtTalker GS・絶チル小ネタ掲示板
イラスト:サスケ
今日も、さんさんと太陽の光が差し込んでいる。
暖かい天地の祝福に包まれて、皆本紫穂――旧姓を三宮と言う――は、愛する夫、光一のため、いそいそと家事に励んでいた。
最初に結婚話が出てから、もう十年以上が過ぎている。
親や職場の上司、あるいは周囲との様々な混乱を乗り越えた二人は、既に隠し事なく本音で語り合える間柄となっていた。
と言うか、サイコメトラーの紫穂が一方的に皆本の思考を読みまくっており、全く隠し事が出来ないとも言えるのだが、それでも彼から離婚話が持ち上がらないのは、ひとえに二人の愛情がなせるワザだろう。
二人の、最初の出会いは、あまり良いものではなかった。
彼女は、日本国内務省にあるバベルのエスパーチーム『ザ・チルドレン』の一人として働いていたのだが、チーム全員が年端もいかない子供たちだったにもかかわらず、みな日本最高の能力を持っていたことで、年相応の扱いがなされていなかったのだ。
普通の子供がとるだろう、いわゆる『躾』へのささやかな抵抗も、彼女たちがおこなえば、そく命にかかわる大事となってしまうため、そろって厳重な監視体制といくつもの能力制限措置を受けてしまったのは、当時としてはやむをえない措置だった。
後で振り返ってみるのならば、それを過ちと言うことは出来るだろう。
措置により、彼女たちの心が悪い方向へ捻じ曲がっていくのを止められるものは、誰も居なかったのだから。
そもそもバベルに来た経緯からして、家族から弾き出されてしまったと思っている彼女たちへ、更に隔離に近い境遇を与える事態となってしまったのは不幸としか言いようが無い。
バベル局長桐壺は、彼女たちをどうにかして救おうとしたものの、局長みずからが付きっ切りで世話をするわけにもいかず、また、ただでさえ子供の世話は難しいのに、自分でも制御困難な超能力を所持している彼女たちの世話役を引き受けようとする酔狂なやからは、なかなか現れなかったからだ。
短期間で幾人も担当は変わるが、それは、覚悟を決めてきた人でさえ、躾と反動の繰り返しで心身に深い傷を負ったため。
人が変わるたび、能力制御機械へ手が加えられていき、皆本光一が彼女らと出会ったのときの世話役ときたら、なんと電流を流す装置をも彼女たちに取り付けていた。
ここまでくると、児童虐待行為としか言えない。
本人は『これも躾なのよ』と口にしていた――当人の事情も色々あったのだ――が、皆本はそれを見過ごせず、当時部外者であったにもかかわらず、つい、それの解除に手を貸してしまう。
近付くもの総てを冷ややかな眼差しで見ていた彼女たちと、昔の体験を重ね合わせ、救いたいと思ってしまったから。
彼の申し出を最初に了承したのは、サイコメトラーの紫穂だった。
彼女が、皆本に何を読み取ったのかは、未だ彼女の口から明らかにされていない。
ただ、その結果として、彼女たちの上司が皆本へと代わり――これも相当な騒ぎであったのだが――当人たちも周囲も、一人を除いて丸く収まったことだけは確かである。
赴任した当初は皆本も彼女たちを持て余していたのだが、時間が経つにつれ、何故か不思議と打ち解けることが出来、最後には、とうとう深い仲となってしまった。
当時は色々と問題があったのだが、年の差十歳とはいえ、彼女が成人した今では何の問題もない。
思えば、最初はロリコンじゃない、と光一が――つい、昔同様、皆本さんと言ってしまいそうになるのだが――抵抗していたことが、紫穂には何となく微笑ましく、また、懐かしく感じられる。
揶揄され、冷ややかな目つきを向けられても、彼は、最後には紫穂を選んでくれた。
彼女は最高超度のサイコメトラーなため、ほとんどの他人とは表面的な関わり合いしか持っていなかったのだが、彼だけは、心を読むと知っていて、それでも彼女と触れあってくれた。
そんな彼を紫穂は好ましく思い、彼女からプロポーズした結果、紆余曲折の末、二人は結ばれたのである。
理不尽なお仕置きなど、ずいぶんと彼へは不愉快な思いをさせていたはずだが、それ以上の積極的な言動に、相手も諦めたのだろう。
その余波として、チームが分裂してしまったことも、今では遠い過去だ。
苦しみも悲しみも、今は幸福の力へと変えられる――
台所仕事をしながら、そんなことを思っていた紫穂だったが、ふいに玄関のチャイムが鳴ったことに気付いた。
「ちわー。○○肉屋です」
どうやら、馴染みの肉屋が来たらしい。
子供時代同様、肉が好物な紫穂は、けっこうな量を頼んでいる。
二人分だけなら自分で買いに行ったほうが手っ取り早いのだが、大家族となった現在では、持って帰るのは一手間である。
また、注文先が多岐にわたること、それに遠いこともあり、こうやって配達して貰ったほうが何かと便利なのだ。
「今日は、豚肉二十キロでよろしかったですよね」
いつも通り、どさっと荷物が玄関に下ろされる。
キログラム単位で持ってきた品物であろうとも、紫穂は全部チェックしているため、普段はそれを待ってから帰る肉屋だったが、何故か今日は帰りが早い。
「じゃあ、今日はこれで」
そう言い、そそくさと立ち去ろうとした肉屋に不振なものを感じた紫穂は、おもむろに梱包品を一つ取ると、こう言った。
「あら、これ賞味期限が……」
とたんに、肉屋が立ち止まる。
「お、奥さん。ひ、人聞きの悪いことを……」
どうやら、注文品が多量すぎて商品を揃えきれず、こっそり賞味期限スレスレの物を紛れ込ませていたようだ。
思考を読まずとも、言葉と態度でバレバレである。
普通なら、このようなものを、と怒るべきなのだろう。
だが紫穂は、脂汗を流している肉屋へにっこり笑うと、こう告げた。
「じゃあ、まけてくれる?」
ただでさえ美人な紫穂が、天使も恥ずかしくて逃げ出すような笑みを浮かべたため、肉屋はその場で固まった。
フェロモンむんむんの人妻から、かような素敵な笑顔を向けられたのだ。
本音を言えば、一も二も無く頷きたい。
だが、元々一括発注で赤字スレスレまで単価を下げさせらており、これ以上まけさせられてしまっては、採算割れ確実だ。
いくらお得意様とは言え、出来ることと出来ないことがある。
しかし、問題の発端は、注文をこなせなかった当方の手落ちであるし……
ど、どうしたら良いだろうか?
蛇に睨まれた蛙のごとく固まっていた肉屋が、我慢しきれず逃げだそうとしたとき、不意に紫穂は彼の後ろへ目を向けた。
先ほど肉屋へ向けたのより、数倍も誇らしい笑顔。
何となく、この笑顔を向けさせたのが誰かを確認したくなり、つられて肉屋も後ろを向く。
「紫穂、何か問題でもあったのかい?」
そこに居たのは、紫穂の夫、バベル高官の皆本光一であった。
愛する夫からの質問に、紫穂は、何でもないわと首を振った。
「ただ、賞味期限がね……」
ちらりと肉屋を見ての、一言。
それを聞き、おおよその事情を察した皆本は、盛大に溜め息を吐いた。
「まあ、紫穂。君の要求する品質の肉を、しかも大量に仕入れてくれるんだから、少しばかりは仕方ないだろう。大めに見てやれよ」
高品質で出来る限り安全な食物を、と紫穂はあちこちの専門業者へ連絡を取っている。
しかも、彼女直々に出向き、サイコメトリー能力を使って品質の最終確認をしていたりするのだ。
その紫穂の目にかなった業者なのだから、今回は、魔が差したのだろうとしか思えない。
皆本は、今までの礼もあるし、と次のように紫穂へ提案した。
「少しばかりまけてもらったり、何かしてもらっても、全然意味無いんじゃないかな。何せ、量が量だからね。だから、次回はこのようなことが無いよう、しっかり君の『目』で見て、それから判断してもいいと思うな」
それは暗に、彼女の能力を使って良い、との内容を含んだ言葉である。
既に、夫の了承を得ず、毎回使ってはいるのだが、それでも夫公認となったのは嬉しい。
紫穂は、こくんと頷くと、肉屋へ告げた。
「分かったわ。じゃあ、支払いは、いつものように引き落としで。次は……覚悟しててね」
「……はい」
紫穂の言葉は、まけろとの無茶な言葉より、更に厳しい内容だ。
今後、一切の不正――厳密に言えば、不正とは言いがたいが――まかりならんとの最後通達に等しい。
だが、考えようによっては、それさえクリア出来れば、このお得意様はずっと当店から買い続けてくれることだろう。
うな垂れると同時に、そうも思考をめぐらせた肉屋は、目前で自然に寄り添う二人の姿に心の底で嫉妬しながらも、何とかこう答えた。
「頑張りますので、今後とも御贔屓にお願いしますね」
そして、空となったダンボールを担いで、急ぎ足になりながら去っていく。
夫婦には、彼の背中に、哀愁と野望の入り混じった奇妙なオーラが見えた。
肉屋がとうとう見えなくなった後、皆本は、そう言えば、と紫穂へ質問した。
「今回は、どれくらい購入したんだ?」
「国産黒豚肉を、ほんの二十キログラムよ。数日で消費しちゃうけど、仕方ないわよね」
紫穂は、子供ころから肉が好物で、しかも品質にうるさい。
昔は苦手だった野菜も、特訓の成果で食べられるようになったが、その過程で食べ物全般の品質にこだわるようになってしまったことが、皆本家の家計に影響を及ぼしていたりする。
皆本自身としては、もっと安いので構わないと言っているのであるが、これだけはガンとして拒まれているのだ。
いくら皆本が特殊公務員であり、かなりの高給取りだとしても、大家族を支えるために出費は出来る限り抑える必要があることを、紫穂はきちんと理解しているのだろうか?
既に先ほどの肉屋との会話を脳内から消し去った紫穂は、皆本の、そんな無言の質問にハッキリと答えた。
「だって、良い食材で栄養取ってなかったら、貴方の体力が持たないわよ」
確かに、昼間もそうだが、夜間のお勤めをこなすには、多大な気力と体力が必要となる。
その栄養管理を一手に引き受けている紫穂の言葉には、さすがに有無を言わせない重みがあった。
毎日たくさん食べているにもかかわらず、しかも肉料理が多いはずなのに、未だみんな健康で、しかもスマートな体型を維持出来ているのは、紫穂の料理技術が貢献しているからに違いない。
その彼女から、エンゲル係数が高いのは当然と言われては、それ以上言うべきことが見つからないではないか。
まあ、肉類多めの食事内容で、どうやってスマートな体型を維持しているのかについては謎が多いのであるが……
それはさておき、給与明細から心の奥まで全て妻に把握されている皆本に取って、ここですべきことはたった一つしか残されていなかった。
「分かった、紫穂が決めたなら、それでいいさ。夕食も頑張ってくれるんだろう?」
そう言って妻を肯定し、そっと抱きしめてやること――
紫穂が皆本の期待に応えなかったことは、結婚してからこのかた、一度たりとも無い。
彼女は、はい、と答えてから、期待しててねとも言った。
能力で鍋の状態を把握し、完璧な火加減をおこなえる紫穂の料理は、天下一品である。
毎日食べているとは言え、それが今夜も食べられると聞いて、皆本の顔がつい、ゆるむ。
「っと、こんなところで立ち話してる場合じゃないよな。中に入ろうか」
そんなことを言い、片手でドアを開けて中へ行こうとする皆本の右手には、しっかりと紫穂の左手が握られていた。
他人の心が読めてしまう紫穂にとり、何でもない、このような彼の仕草が、どれほど彼女の力となることか。
紫穂は、夫の暖かさが嬉しく、ぎゅっと握り返す。
私も幸せです、と伝えるその手には、よく見ると、薬指に少々大きめの指輪がはまっているようだ。
星のマークが見えるため、昔から使っているESPリミッターの改良型だと推測されるが、それだけでは無く、何やら銀色に輝くリング状の品が付属しているようにも見える。
巧妙なデザインで目立たないようなっているものの、どうやら銀色に光るその部分は、結婚指輪を組み込んだものらしい。
いつも彼との愛情を身に着けていたいとの、紫穂なりの考えなのだろう。
さすがに小さくであるが、指輪にしっかり掘り込まれた文字には、こう記されている。
『Shiho & Kouiti are best partner forever.』
――紫穂と光一は、いつまでも最良の配偶者です――
この静かな、そして幸せな時間がいつまでも続くよう願いを指輪に篭め、紫穂は今日も愛する夫のため、いそいそと料理の腕を振るうのだった。
―終―
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